蝶のまばたき

もう死にたい、消えたい・・・無職アラフィフ独身女の雑記帳

シャンプーをめぐる問題

今日9月15日は「老人の日」だそうです。

 

元々「敬老の日」(祝日)でしたが、

祝日法の改正により、「敬老の日」は

9月の第3月曜日に変更されました。

 

それに伴い、旧敬老の日だった9月15日を

老人の日」として記念日に制定。

国民老人福祉への関心と理解を深めるとともに、

老人自ら生活の向上に努める意欲を促す

ということでして。

 

老いはひたひたと忍び寄ってくる。

中年の私もそう感じている毎日です。

 

先日人生で初めて、シャンプーとリンスを

間違えて買ってきてしまいました(>_<)

※コンディショナーもトリートメント入りも

 ここでは全て「リンス」で統一します。

 

「人生で」とは大げさですが、

そこつ者で数々の凡ミスをしてきた自分も

これだけは幸い免れてきたのです。

だっていかにも間違えそうでしょう?

だから、かなり用心していました。

 



買ってきたシャンプーの詰め替えを

ボトルに投入していると、途中で気づきました。

あれっ、なんか色と液質がちがう・・・👀

半分以上詰めてしまってからです。リンスでした(>_<)

「なぁ~にぃ~! やっちまったなぁ! 」と。

(クールポコさんはお元気かしら…)

 

シャンプーボトルには前のシャンプーが

少し残っていたので、混ざってしまいました。

もうリンスとしては使えません。

無理に使えば使うことはできますが、

リンスがたくさんあっても困るのです。

 

そもそも洗髪の際、シャンプーに対し

リンスは少量しか必要ありません。

ボトルは毎回シャンプーの方が先になくなり

リンスはなかなか減らないのです。

これって私だけなんでしょうかね??

 

お店ではシャンプーとリンスは同じ容量で

大体売られていますよね。

でも私は、リンスがシャンプーの半分量でも

まだ多いぐらいなんです。

 

シャンプーは二度洗いすることがあるけど、

二度リンスはまずない。

しかもリンスは地肌にはつけません。

だから、いつもボトルの残量にズレが出て

面倒くさいんですよ。

 

そしてシャンプーとリンス両者の

見た目がほぼ同じ、という件です。

シリーズやタイプをあえて別々にしない限り。

あれってわざとなんでしょうか?

間違えて買わせて、新たに買い直させて利益を?

まさかそこまでは…と思いますが💦

(ちなみに「メ〇ット」はわかりやすいです)

 

量にしてもデザインにしても・・・

企業にとって何か理由はあるのでしょうが

ずっと不思議でなりませんでした。

誰か知っている方がいたら教えてくださいm(__)m

 

さて話は戻りまして、

リンスを入れてしまったシャンプーボトル。

これを処分するのが今度は大変です。

このままゴミに出してもいいのか。

できれば中をきれいに流して空にしたいですが、

ドロッとしているし量もすごいです。

 

なんとか他の用途に使えないか検索すると

洗濯のとき柔軟剤として使うとか、色々

出てくるものの、う~ん・・・。

そもそも柔軟剤は使っていないしなぁ。

 

今回は図らずも、とはいえ

必要ない物を家に入れてしまうと、このように

余計な思考や仕事が増えてしまいます。

やはり買い物は慎重に行わなくてはと

改めて思いました。

 

近年はシャンプーを使わず洗髪を行う

「ノープー」の方もいるらしいですね。

つまりお湯だけで洗う方式です。

 

私はまだそこまでは考えていませんが、

それができれば、衛生面の物品はかなり

ラクになりそうですよね。

シャンプー類を選ぶ・買う・残量を気にする等

一切必要ないので、詰め替え問題もまるごと

消失します。

 

発想の転換で、洗髪する頭髪自体をなくしたら

どうか=スキンヘッドにする、も考えました。

しかし美容師さんによると、これはこれで

メンテナンスが大変だとのこと。

 

ミニマリストへの道はまだまだこれからです。

 

 

お読みいただき、ありがとうございました。

 

 

    

          2022年9月15日

グーグル最大のライバル?

人生谷あり谷あり、苦手なことばかり。

 

例を挙げればキリがありませんが

理数系の弱さはなかなかのものです。

「数」全般はもちろん「空間認識」も

非常に不得手です(>_<)

 

この立体の展開図は次のどれか?

などという問題がありますよね。

絶対ムリなんですよ。わかって、お願い。

 

前職では非情にも、

新規お客さん宅の「間取り図」を必ず書く

というミッションがありました💧

職務上の必要情報としてです。

 

書いては見たものの、

実際とまるで違った位置関係だったり

謎の空間が出てしまったりして(>_<)

後でこっそり何度も書き直したものです。

 

屋外とて同じこと。道が不得手です。

巷で「地図が読めない女」という

フレーズがありますが、

まさに自分のことだと思いました。

先生に指されたい元気な小1男児のように

「ハイ、ハイ、ハイ!私、私✋」って感じです。

 

昔、これが入ったタイトルの本も

ありましたっけね。(読んだことないけど)

 

空間認知ベタの関係か、

基本的に写真を撮ることも苦手です。

ブログでは、時に自分で撮った写真を

載せることもありますが、

実は撮ることが好きではありません。

 

実に不得手な「地図を読む=道がわかる」

「写真を撮る」という事柄なのに。

以前から、やたら見知らぬ人から道を聞かれ、

観光地などでは写真撮影を頼まれてきました。

 

写真は、デジカメが出てきてからは

だいぶ気がラクになりましたけれど。

昔のカメラは撮り直しが効かなかったので、

当時はすごいプレッシャーでしたよ。

 

不器用なので緊張してブレちゃったり、

どこか切れちゃって構図がイマイチとか。

撮った後居たたまれず、逃げるようにして去る、

というのがお決まりで(>_<)

(そのグループが後でできた写真を見て

 ガッカリする姿を想像すると・・・涙)

 

「頼むから私に📷頼まないで!皆不幸になるから」

と念じたり、自分の気配を消してみたり💦

でもこっちに来るんだよ~。(なぜ自ら不幸へ??)

いつも一人旅でぼーっとしてるからかなぁ。

 

道を聞かれるのは、旅行先や仕事先でも

関係ないんですね。住んでいる所すら

上手く説明できないぐらいなのに。

雰囲気で「この人ダメそう」って

わかるでしょうに、なんで~(>_<)

「察しの文化」はどこへ行った?日本文化は?

 

道を聞かれたら仕方なく

「ごめんなさい、地元じゃないんです~」

とか言いながら、去っていくパターン。

あと、わからないけど一緒に探してみる(風の)

パターン。主にこの二通りですかね。

以前、全然違う方向を教えてしまったことが

あって、無理はしないようになりました。

 

でも、ずっと長い間不思議だったんです。

なぜ、いかにも「そちら方面」が弱そうな人に

わざわざ写真撮影を頼んだり、道を尋ねたり

するんだろうと思って。

 

そしたら、最近ネットで見かけたのですが

これHSPによくある例の一つだそうです。

(全員ではなく個人差があると思いますが)

 

HSPの人は他者の気持ちに敏感で、共感する

能力が高いので、困った状況の人が寄って

きやすいらしいです。害がなさそう、

親身に対応してくれそう、ということで。

 

でも道がよくわからないのに聞かれても、

その人にとっては結局二度手間に

なってしまうと思うんですが。

写真も上手に撮ってもらった方が

後々もいいでしょうにねぇ。

(だから苦手オーラを出しているのに・・・)

 

そういえば、昔あるスーパーでの出来事を

思い出しました。

レジが超絶速くて上手な店員さんがいたのに

なぜか、レジの遅い店員さんの方に

皆いつも列を作り並んでいたのです。

 

考えられる理由としては、上手な店員さんは

笑顔がなくツンとしていたことでしょうか。

私は速い方がいいので、喜んでツンの方に

行きましたが。

 

大型スーパーではまた話が別かもしれませんが、

その時に思いました。

やはり人間って他人に優しくされたい生き物

なんだな・・・と。

なるべく傷つきたくないんですね。

 

ところで最近は、道を聞かれることも、

写真をお願いされることも随分減りました。

スマホ&グーグル先生の登場で

ほとんどのことは自分で解決できますからね。

生身の他者に頼らずとも。

 

そう言いつつ、私は今でもしょっちゅう

誰彼かまわず、人に道を聞いています。

グーグルナビを使っているのに

道がわからない時が多々ありまして(恥)

 

自分が道をよく聞かれたりするのは

HSPは関係なくて、自分が人によく尋ねるから

かもしれませんね(^^;

 

最先端の機器、グーグル先生ですら

手に負えない相手。最強の存在。

それを「地図が読めない女」と人は呼ぶ。

 

                                               

                FIN.

 

 

なんて最後クールに決めてみました(*^^*)

決まってない??決まってないね?

こりゃまた失礼いたしましたっっ(ドドンっ)♪♪

 

お読みいただき、ありがとうございました。

 

 

              2022年9月14日

ピッチピチの新聞

私は人が争っていたり

人が声を荒げたりしているのを

見るのがとても苦手です。

これはHSPの典型的な例なんだそうです。

 

一方で、場合にもよりますが、

「その場で存分にやりあってしまえ」

と思う部分もあります。(どっちやねん)

 

何か負の感情が内にこもって

その人の中で変にジメジメするぐらいなら

表に出して発散させた方がいいと。その場で。

 

小出しでガス抜きをしておかないと、

後に関係ない所で大爆発する危険性を

考えてしまうのです。

 

そしてその爆発の矛先は

往々にして「弱者」に向けられることが

多い。それが社会の悲しい現実です。

 

不満や文句があるなら、その発生源に

直接言う事ができればいいわけですが、

それができずに、ストレスを抱える。

すると器が小さく卑怯な人間ほど強がり、

弱い者に当たります。

 

当たる先が身内であれば、多いのは

女性や子供。(ペット等、動物である場合も)

その他大勢であれば「誰でもかまわない」と

言いながら、しっかり自分より弱い(状況の)

人を選びます。

 

ただ、最初の「小出しで発散」の段階で

エスカレートして殺傷事件になってしまう

場合もあるわけですが。

 

以前、ある駅でのもめごとを記事に

書いたことがあります。↓↓

 

butterfly-blink.hatenablog.com

 

私は図書館の新聞・雑誌コーナーに

時々行きますが、そこでも小競り合いに

出くわしました。

上にあげた出来事のすぐ後ぐらいだったと

思います。

 

新聞・雑誌コーナーにいる市民は

基本的に高齢男性の割合が非常に高いです。

私がいつものように「二大砲撃」週刊誌などを

読んでいると、真後ろのソファーで始まりました。

 

またもや「高齢男性VS若者男性」

両者の顔は見えませんが、声でわかります。

若者の方はさすがに10代ではなさそうですが

30代ぐらいまででしょうか。

 

どうやら、

高齢男性がトイレから新聞・雑誌コーナーの

ソファーに戻ると、元々座っていた場所に

若い男性が、座っていたようです。

 

高齢男性はその場所にまた座りたい様子。

自分の席であることを主張しました。

荷物を席に置いていたからなのか、

足の具合が良くないのかどうかは不明です。

 

若い男性の方も、今いる場所から動きたく

なかったようで、「お前が動けよ」といった

悪態をボソッとついたりしながら、

しばらく座っていました。

 

ご老人も何かまた「自分の席なのに」

というような未練をゴネゴネしつつ…。

これはマズい方向になるかな、と思った矢先

若者がまた何か吐き捨てながら移動。

ご老人が座れることになった気配がありました。

 

前回のように、乱暴な怒声が響きわたるとか

警察が来るという事態にはなりませんでしたが、

大事に発展しないかとやはり緊張しました💦

 

席が混んでいるというわけでは全然なかったので、

どちらかがさっと移動すればいいだけの話だと

思うのですが。「あ、座ってるんだね」もしくは

「元々座ってたんですね」と。

何か意地になってしまったのでしょうか?

 

両者とも訳あって他所に動きにくいのであれば、

その理由をつけ足して、

「座らせてもらっていいかな(いいですか)?」

と言えば、気持ちよく済んだかもしれません。

でも実際難しいですよね…。

 

他にも小さいことながら、ヒヤヒヤする行為に

時々出くわすことがあります。

 

先日は、新聞を思いっきりバサバサ音を

立てながら読んでいる高齢男性がいました。

わざとかと思うほどなんです。

 

一つ空けて隣に座っている人がいて、

大丈夫かなと心配になりましたよ。

少し離れた場所の私にもかなり音が響いたので

相当耳障りではないかと(>_<)

 

ちらっとそちらの方向を見ると、

横の人は幸い、特に気にしていない様子。

そのうち「バサバサ主」も読み物を雑誌に

切り換えたようでした。(ホッ。良かった・・・)

 

(↑絵のおじいさんは音立てなさそうですね^^)

 

もし迷惑行為のようなものがあって、

自分がすぐ隣にいたら、どうするだろうか?

たぶんすぐに席を移動すると思います。

では、他に席がなかったら?

自分のためにも、周囲のためにも注意するのが

いいのでしょうけど・・・。

 

私が迷惑の発生源だったら、

率直に注意してほしいですm(__)m

何も知らずに自分が他者みんなを不快な気分に

させていたとしたら、悲しすぎます。

そして、だいぶ後日になってそれを知る時が

来たとしたら、もう辛すぎる・・・(>_<)

 

とはいえ、今はトラブルを避けるために、

三者から間接的に注意を促してもらうのが

一般的なんでしょうね(この場合、図書館スタッフ)。

 

しかし、あえて前提として

高齢男性に直に注意するとしたら。

皆さんはどのように声をかけるでしょうか?

 

いい言葉が思いつきませんが、

こういうのはどうでしょう。

「あら、取れたてのバッサバサですね~。

 こりゃまた随分イキのいい新聞ですな!

 ちょっと締めておきませんか??」

 

 

どうやら滑ったようですね💦

お読みいただき、ありがとうございました。

 

 

 

         2022年9月13日

 

ジャスミンティーの思い出

昨日の記事では、

初めて中国に訪れたときの出来事を

一部紹介しました。

 

中国語の発音が難しすぎて、

口頭での会話が成り立たず、筆談にしたこと。

そして筆談時のエピソードでした。

 

旅行中のこうした珍事というか小話は

山ほどありましたが、残念ながらほとんど

もう忘れてしまいました。

 

今は何でもメモするという癖がありますが、

当時はそういう習慣が全くなかった。

それが本当に悔やまれます(>_<)

 

それでも記憶に残っている断片はあります。

思い出したら、そのつど、なるべく

書き留めておきたいと思います。

 

筆談で思い出したことがまた一つ。

日本から中国の上海に到着して

数日後のことでした。

 

満州地方に行ってみたいと思い、まず

上海から大連行きの船に乗ることにしました。

貧乏旅行なので、客室は一番等級の低い5等

選びました。

 

船に乗り込んだものの勝手がわからず、

とりあえず、自分の客室がどこか

どなたかに聞くことにしました。

 

近くの男性をつかまえて尋ねると、

なんと「〇〇工作員〇〇」と書かれた紙を

私に渡してきました。

エッ!? まさか、自分がどこかの

(テロ)工作員だと思われている??(>_<)

 

すぐにその人から脱兎のごとく逃げました。

とにかく巻いておかないと。

とんでもない所に来てしまったと思いました。

 

実は「工作員」とは職員のことで、

「船のスタッフに聞きなさい」という意味の

返答だと後でわかったのですが💦

(親切な人だったのになんてこと…<(_ _)>)

 

ともかく5等客室です。これがすごかった。

船底に一番近い客室。窓もない薄暗い大部屋に、

たくさんの鉄製2段ベッドが、所狭しと置かれています。

多くの乗客でごった返していました。

 

切符の番号を見ても、自分の席がどこか

などすぐに探し出せそうにありません。

手当たり次第、ベッドからベッドへ

座っている人に聞いて回りました。

 

ヒマワリの種とか軽食をつまんでいたり、

お茶を飲んでいたり、皆さんにぎやかです。

 

やはりギョッとしたのは、ほおばる口から

見える「鶏の足」。大量に入った袋から

取り出し、食べているのを初めて見ました👀

このとき、大変失礼にも

「私は無事に日本に帰れるんだろうか」

とちょっと思ったのを覚えています💧

 

やっとのことで自分の席が見つかると、

あるご夫婦と相部屋ならぬ「相ベッド」

のようでした。

お二人にあいさつすると、すぐだったと思います。

魔法瓶から、温かいお茶を出してくれました。

 

これを飲んだ瞬間を今も忘れられません。

こんな美味しいお茶があるのかと。

初めての味でした。

茉莉花茶というのだそうです。

 

この数日前の晩、大阪を出発した船の中では、

晦日の「紅白歌合戦」が流れていました。

 

そこでは歌手の杏里さんが

オリビアを聴きながらを歌っていて…

あの歌は昔から大好きなんです。

 

特にこの部分の歌詞。

「 ジャスミンティーは 眠り誘う薬

  私らしく一日を 終えたいこんな夜 」

 

飲んだこともないのに、昔から鼻歌で

真っ先に出てくるのはこの部分でした。

まさか図らずも異国の地で

本物のジャスミンティー(茉莉花茶)に

出逢えるとは・・・。

 

ここから2か月間の旅行中、ほぼ毎日

ジャスミンティーを飲まない日はなく

大好きな飲み物となりました。

日本も今では、ペットボトルでも普通に

売られるようになりましたね。

 

四半世紀経った今でも、

あの時のジャスミンティーほど美味しい

飲み物には出会っていません。

全てのドリンク歴を通しても。

 

5等船室で飲んだあの茉莉花茶

優しいご夫婦と飲んだ温かい一杯です。

 

 

お読みいただき、ありがとうございました。

 

 

 

          2022年9月12日

 

 

落胆からの・・・

今日、沖縄県知事選の結果が出ましたね。

 

いや~・・・

う~ん・・・

そうか・・・

 

「それがお前の出した答えか」

漫画なんかで出てくるセリフで

こういうのありますよね?

 

お前を複数形「お前ら」にすれば、

そのまんま、自分の今の気持ちです(>_<)

元々かっこいい系のセリフなのに

使う状況が違うと、こうまで映えないのか。

 

近くにミサイル撃ち込まれて

ここまで危機が目前に迫っても、この人を

選ぶんですね。すごいな。

 

といっても投票率は50%未満のようですが。

(42.〇〇%って言ってたような)

この状況で最前線の地で、この投票率かぁ・・・。

やっぱりすごいな。全然ほめてないけど。

※翌日確認すると、投票率57.92%になって

 いました。それでも低いですね。

 

でもね、もう片方の最前線である

北海道の先端もボケボケのお花畑だって

聞いたことがあります。

どちら「どうぞ攻めてください」と

言わんばかり・・・(呆)

(CもRも数千万単位で人を〇すような国よ?)

 

もう落胆しちゃって、今日は目標の

1000文字以上書ける気がしません・・・。

どうしよう・・・。

この「・・・(点々)」が増えていくばかり。

(この・・・、意外と文字数稼げるかも。

 点1個で一文字だから、なんてね💦)

 

あと、500文字ちょっとなんですが、

話題を変えたいと思います。

昔、中国旅行をしたときの話を少し。

 

初回は1997年のことでした。

荷物は片道切符とボストンバック一つ。

行き当たりばったり、完全に自由な一人旅。

その当時は三国志が好きで、それ関連の土地を

回ろうと思っていました。

 

まず大阪港から「鑑真号」という船に乗り

上海へ。そこから2か月ぐらい旅をしました。

何もかもが新鮮で本当に楽しかったです(*^^*)

 

甘かったと思ったのは言葉です。

中国語の会話本を持って行きましたが

発音が思いのほか難しかった。「四声」です。

教本通りに喚こうが何しようが

どうにも全く通じないんですね(>_<)

 

そこで「筆談」に切り換えました。

というより、それしか方法がないんですが(^^;

出会う人みんなと様々楽しく筆談をし、

漢字の便利さ、ありがたみを実感しました。

(漢字の国の人だもの♪♪)

 

 

そこで時々あった質問が、

「給料をいくらぐらいもらっているのか」。

あと、もう一つ忘れらないのは

「先の戦争や南京大〇殺についてどう思うか?」

ということでした。端正な文字で。

(やはり本場の方は漢字が上手でしたよ💦)

 

この2つ目の質問について。

もちろんその頃の私は、完全に自虐史観

刷り込まれていましたから、

「全部日本が悪いんだ」と思っていました。

「侵略した国に申し訳ない」と。

(なんとあの悪名高い、本多勝一

『中国の旅』を買って持っていた位です>_<)

 

ただ、なぜか私は相手に謝罪すること

一度もありませんでした。

たしか「過去は間違ったかもしれないが、

未来に向かって友好」というようなことを

漢字で答えた記憶があります。

 

なぜ謝らなかったのか?

一つは簡単に謝って済む問題ではないと

思っていたからだと思います。

しかし、それでも自分の気弱な性格からし

謝ってしまってもおかしくなかった。

 

今なら、国・組織レベルとはいえ、

中韓は「謝ると厄介なことになる」相手だ

と十分知っています。捏造国家であることも。

 

しかし当時は全く知りませんでした。

なぜ私が謝罪をしなかったのか、今でも

不思議です。

 

大げさかもしれませんが、まれに

何か自分のものとは思えない力(働き)

を感じることがあります。

あるいは、それは、本当に深い深い奥の

奥底の潜在意識なのかもしれません。

 

さて、深~い深い潜在意識さんよ。

本体の主である私を、そろそろ幸福に導いて

くれないでしょうか?まだですかぁ?

えっ、自力でなんとかせいって??

先に日本が滅びそうですよ・・・。

 

 

気がつけば1500文字以上になっていました✨

お読みいただき、ありがとうございました。

 

 

 

          2022年9月11日 

 

世界自殺予防デー

今日9月10日は

「世界自殺予防デー」だそうです。

 

2003年にストックホルム

世界保健機関(WHO)と国際自殺防止協会(IASP)

「世界自殺防止会議」を共同開催。

その会議の初日を「世界自殺予防デー」とし、

世界的に自殺防止に取り組む責任があると

宣言されたそうです。

 

関連記念日として、

・自殺予防週関が 9月10日~9月16日

・自殺対策強化月間 が3月1日~3月31日

となっております。

 

ということは、今日から一週間、

自殺予防週間なんですね。知りませんでした。

 

なんだか、上記のいずれにしろ

効果が出ている感じがしないんですが、

われわれ日本人。

抑止力になっているんでしょうか?

電車の人身事故については、相変わらず

毎日のようにニュースが上がってきます(>_<)

 

9月中旬が予防週間か。

学生であれば、長い夏休みが終わり

嫌でも現実から逃げられない毎日を

また憂い始める時期、ということでしょうか。

 

あと、涼しくなると、うやむやにできていた

何かが、また頭をもたげてくる。

猛暑で思考が鈍っていた時は良かったですが。

正気になると、辛さをごまかせないと言いますか…

そういった頃ですかね。

 

2つ目の「自殺対策強化月間」の時期も

やはりわかる気がしますね。学年末、年度末。

総決算で何かと忙しかったり

根詰めなければいけない時期ですから。

「もう限界」「この辺りで」と思ってしまい

やすいかもしれません。

 

~~と、

まるで他人事のように言っていますが、

明日は我が身であることは変わりません。

怖くて勇気がないのと、色々と億劫すぎて

死んでないだけです。

 

 「死のうと思えばいつでも死ねる」

 「どのみち人間の死亡率100%」

これらの言葉をお守りにして、

ただ生存しているだけ。

鼻先にぶらさげた人参とも言えるでしょうか(^^;

 

自殺対策といっても。

私が今すぐに死にたいとして、ですよ。

身もふたもないことを言いますが、

生きていてもいいことなさそうなのに

「死ぬな」って言われてもねぇ。

(夢も希望も何もないのに・・・)

 

「あなたが死ぬと悲しむ人がいるから」

言われても、「いませんから」で終わりだもん。

今は人付き合いがほとんどないので、

「いなくはないけど、それほど悲しまないと思う」

が正直なところです。

 

「自分を殺すことも人殺しだから、自殺は悪」

⇒「だから自殺をしてはいけない」

という考え方もあるようですが。

悪とか正しいとか、そういう話ではないので、

「あなたはそう思うんですね」としか思えない。

 

「夜明けの来ない夜はない」とか

「止まない雨はない」とか言われても。

もはや、中年になると擦れてしまって

何も響かなくなるんです。

「私の頭上だけ万年ザーザー降りです」と

返したくなる。

 

じゃあ、あなたの目の前に今にも

自殺しそうな人がいても何も言わないんですか?

そう問われたら。

そしたらどうしましょうかね。

他の誰かが死のうとすることには、心が痛みます。

 

「これだ!」という声かけ方法は

残念ながら見つかりません。

ですが、今の私ならこう言うかもしれません。

 

私もできればこの世とおさらばしたい。

でもなんか悔しいんだよ。

 

そんなに辛いなら仕方ないけど

私たちが死ぬのはまだ早すぎる。

先に死ぬべき人間は他にたくさんいる。

 

性犯罪や凶悪犯罪を繰り返す奴ら。

集団で、残酷な方法で人を殺めた奴ら。

身勝手な理由で人を殺し、反省もしない奴ら。

 

中には普通の生活をしていたり、

本まで出すクズがいる。

当然死んで然るべきなのに、死刑にもならず

のうのうと生きている連中がごまんといる。

 

人の命は平等なんかじゃない。

私たちの尊い命と、そいつらクズ共の命の

価値が同じであるはずない。冗談じゃない。

 

まず死ぬなら、そいつらからだよ。

なんでまじめな私たちが先に死ななきゃ

ならないの?そうでしょう?

せめて、そいつらが地獄に行くのを

見届けてからにしよう。

 

どうでしょうか。これが精いっぱいです(>_<)

ただ、この言葉に嘘はありません。

本当に心からそう思っています。

 

もしどなたか、他に良い声かけ方法があったら

教えていただきたいと思いますm(__)m

 

お読みいただきありがとうございました。

 

 

    

          2022年9月10日

幸福の二大条件

昔からなぜか「言葉」というものに

敏感なタチでして・・・。

良い方にも悪い方にもついつい反応。

気になってしまうという癖がありました。

 

自己主張がすこぶる苦手な自分が

なぜこのようなブログを書く気になったか。

(数行の日記すら続かなかったことは

 前にも触れたことがあります💧)

 

butterfly-blink.hatenablog.com

 

自己生存確認とともに、他者生存の危機を

少しでも抑止できないか(0.00…略…1%でも)

という思いと、思考停止に陥らないため。

そう言えると思います。

 

思考停止にならないためには、

自分で考えることが必要ですが、

その道具はやはり言葉(言語)しかありません。

 

なぜ思考停止になるとまずいのか?

 

それは、

我が国が壮大で悪しき実例でもって

示してくれているではありませんか。

日本が長い間、お花畑の思考停止できた結果、

今どうなっているか。

 

あ、そこのあなた!

「何言ってんだ、中年ニートのお前は

思考停止どころか人生停止してんだろ!」

と思った方、いますね?

「思考じゃなくて、人生なんとかしろ!」

=「四の五の言わず働け!」と。

 

好きです、そういうこと言う方(*^^*)

(「言う」じゃなくて「思う」ですね)

そんな何らかの思いを喚起することこそ

このブログの狙いでもありますから。

反発であっても何でも。

 

「思考停止=幸福・平和」では決してありません。

自分で考えることを止め、主張しないことが

どれだけ多大な弊害をもたらすか。

 

我が国が、波風立てないように

相手を刺激しないようにしてきた結果、

どうなりましたか?

 

昨日も同じようなことを書きましたが、

まともではない相手ほど、

つけあがり、横暴になるということです。

国だけでなく個人も。

 

自分さえ我慢すればいい、と言う思考は

相手を増長させ、不幸になるだけです。

自分を破壊(=死)することすら招きます。

 

実際私の伯母はそれで死にましたし、

母も大変苦労しました。

 

butterfl

 

↑上の記事では、

人が幸福に生きる上で自己肯定感・自尊心が

何よりも大切であることを書きました。

 

そして、もう一つ欠かせないのが、

今触れている「思考停止に陥らない」

ということだと思います。

 

「自尊心」と「思考停止からの脱却」

この二つが全ての基礎である。

アラフィフになって、社会の底辺まで落ちて

ようやく気付くなんて・・・。

 

これがどれだけ大切なことだったのか、

骨身にしみて感じています、毎日。

もっと早く知りたかったYO・・・(涙)

 

ですから、国レベルで考えても

自尊心を失い、思考停止に陥った日本が

幸福になれないのは当然のことなのです。

 

逆に日本が「らしさ」を取り戻し、自分で考え

誰かの言いなりになることを止めれば

それは幸福への第一歩となりますよね。

最初は痛みが伴っても、清々しいはずです。

誇らしいはずです。

 

相手がどんなに強大でも、卑怯な奴らには

毅然と対応する。正々堂々と主張する。

これが日本精神だったはずです。

 

戦争をしろ、と言っているわけでは

もちろんありません。

その真逆で、戦争をしようとしている奴らに

屈するなと言いたいのです。

 

聞く力⇒聞き流す力⇒聞いているふりをする力

⇒そして安倍さんがおられない今、

聞いているふりすらしなくなった、

という👂状況はまさかありませんよね(>_<)

考えすぎですよね?

 

国葬後の日中首脳会談だけは

絶対に止めてほしいです。お願いします。

 

また、今日も書こうとしていたことが

一つも書けませんでした💦途中からまた

全然違う話になってしまいましたm(__)m

(5行目からもう脱線しとる…)

 

 

お読みいただき、ありがとうございました。

 

 

 

              2022年9月9日