蝶のまばたき

もう死にたい、消えたい・・・無職アラフィフ独身女の雑記帳

大世界共栄圏

すっかり忘れていましたが、

昨日、毎日ブログ更新

「30日間チャレンジ」2回目を達成しました✨

 

三日ならぬ「一日坊主」が

なんと60日間も継続できています。

 

いつも読んでくださる方

偶然寄ってしまった方、皆さんに

改めて心から感謝を申し上げます。

本当にありがとうございますm(__)m

 

大げさではなく、皆さんのおかげで

なんとか日々生きていられる気がします。

 

もちろんお会いしたことはないのですが

読んだ方が少しでも、

気持ちがラクになって下さることがあれば、

この上なく幸せですm(__)m

 

このブログを書くにあたっての方針は

変わっていません。

 

・目的はあくまでも「継続すること」

・1000文字以上書くこと

・自分に正直に書くこと

 

以上3つを守れば、

何を書いてもいいことにしています。

 

ですから、読んでいて不快を感じることも

多々あるだろうと思います。

「何コレ変なの!」とか

「考え方が間違っているよな…」とか。

 

何を思っていただいてもかまいません。

 

私はこの場を使って、

自分がどういう人間なのか

知りたいのだろうと思います。

 

そのためには、

頭の中で何となく考えていることを

はっきり言語化する必要があります。

 

頭の中で考えている最中も

もちろん言語は使っていますが、

あまりにも混沌かつ漠然としています。

 

思考は表れてはすぐ消えて

また別の思考へとすぐに飛んでしまいます。

ですから、思考をはっきりさせるために

文章として書くことが必要なのです。

 

以前の記事にも書きましたが、

文章を書くとは、頭の中を整える

「断捨離」だと思っています。

 

~~まだブログ開始後まもない記事です

頭の中の断捨離 - 蝶のまばたき

 

自分がどういう人間か知りたい

ということと同時に、

他者についても知りたいと思っています。

 

ちなみに私は、他者の属性について

かなり無頓着です。

その人の年齢や学歴、既婚かどうか、

勤務先の会社など、いわゆる属性に

(自分でも驚くほど)興味がない人間です。

 

私が知りたいのは、

「その人がどのような考えの持ち主か」

ということだけです。

「どのようなことに関心があり、

力を傾けているか」ということ。

 

それを知っていく上で、はじめて

その背景となる「属性」が気になるという

流れはあります。

その人の考えを深く知るために。

 

初めから「属性」が気になる

ということはないです。

 

ただし、お店などで外国の方を見たとき

すぐ「どこの国の方?」と聞いてしまう

クセが例外的にあります・・・。

 

これは本当に困った習性というのか💧

お店だけではなく、先日は電車内でも。

隣に座っていた外国の方がいまして、

がまんできず聞いてしまいました。

ネパール人でした。

 

特にアジア系の方だと、

勝手に仲間意識を感じてしまうのです。

(「大東亜共栄圏」という言葉が

 ついつい頭をよぎってしまって)

 

だいぶ前ですが、コンビニの店員さんに

どこの国出身か聞いたら「スリランカ

と言われ、感動しました。

生まれて初めてスリランカ人に会いました。

 

「サンフランシスコ講和会議(1951年)

 では、日本がお世話になりました!」

と感謝を言いたかったのですが、

すごく若い女性だったので止めておきました(^^;

 



あと、アジア人ではないですが

海外に行ったとき、ギリシャ人やユダヤ人に

初めて会った時も感激でした!

世界史の教科書や本でしか知らなかったので。

 

パリのユースホステルである人に

「どこからきたの?」と尋ねたら

「グリースだよ」と言われました。

 

しばらく「グリースって何だろう?

 頭につけるヤツじゃないよね?」と考え…。

 

突然「ああっ、ギリシャ(Greece)か!!💡」

と、気づいた時の感動は忘れられません。

 

ユダヤ人も、ほとんど聖書の世界です。

イランかどこかで会った方に

どこの国の人か尋ね、「ジューイッシュ(Jewish)」

と言われたとき、すごい衝撃でした。

(この時も「Jewish」が何か気づくのに

 少し遅れましたが・・)

 

当たり前ですが、

彼らが本当に存在しているんだな、と。

書物ではなくて現実に会っているんだ、と。

 

英語力のなさもバレてしまいますが

それでもやっぱり話しかけてしまうのです。

 

 

 

今日のお昼はタイレストランで

カオマンガイ」(蒸し鶏ご飯)を食べました。

 

いつも食事のときは

途中でお腹いっばいになったとしても

ごはん一粒たりとも残しません。

 

勿体ないのはもちろん、

死ぬとき後悔したくないからです。

食べる時に、自分の「餓死での孤独死

の場面を想像してしまうのです。

 

最後スカスカになって事切れる瞬間

「あの食事のとき、ごはんを残さなければ

 良かった・・・」とすごく後悔しそうなので

 それを阻止したいんです(>_<)

 

前世ではやはり

食べることに大変苦労した大家族の

農民だったのではないかと思います。

 

 

お後がよろしくないようで💦

お読みいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

             2022年7月13日