蝶のまばたき

もう死にたい、消えたい・・・無職アラフィフ独身女の雑記帳

自分由来成分〇%

毎日ブログを更新するはずが

昨日さっそくポカをしてしまいました。

 

夜にリラックスしようと部屋の電灯を消し

キャンドルを灯したら、そのまま朝まで

眠ってしまったのです(+_+)

 

以前の自分なら、ここでガーンとなり

かなりくよくよしたと思います。

「文字数の縛りもなくし、ハードルを下げたのに

書けなかった…」と。

でも今は「変な完璧主義」を手放す方向へ

進化してきているので、わりと大丈夫です(*^^*)

 

一昨日は

自分が望んでいる通りに選択することの大切さ

をお話しました。

つまり、自分本位で行動する=

自分が本当にしたいからする、ということです。

 

自分が自分の行動を選べている、

コントロールできているということが

自身を尊重すること(自尊心)につながるのです。

 

いつも同じことばかり繰り返しているようですが

大事なことなので何回でも言います。

自尊心がないということは一文無しよりも

はるかにずっと深刻だと思っているからです。

 

私は最近になってこのことを知りましたが

もうこれは本当に、

知るのに早ければ早いほど良いです。

 

学校でいの一番に教えてほしいとも思いますが

まだ理解力の発達していない時期だと「自尊心」

「自分本位」を単なるわがままとか利己主義と

誤解されそうなので無理でしょうか。

 

学校教育であれば「自尊心」という抽象的なこと

よりも、正しい歴史や道徳教育などで我が国に

誇りを持てるようにすることの方が有益でしょうね。

というより必須だと思います。

 

※私は、国家の在り方と個人のあり方は

 相互に関係していると考えています。

 

話がちょっと脱線してしまいました。

 

「自分本位」の大切さ。

通常「善」「親切」とみなされる行為を行う

ときですら同様です。

例えば、電車やバスなどで他者に席を譲ろうという

とき、それが自分本位なのか他者本位なのかで

全く違うものになります。

 

席を譲るからといって毎回良い反応が

返ってくるとは必ずしも限りません。

お礼を言われない時もあれば、申し出を

断られることもあるでしょう(←稀だと思いますが)。

 

自分が譲りたいから譲るのであれば、

思わぬ反応があっても、

「自分がしたくてしたのだから、どう思われても」

と納得することができます。また

今回結果としては断られたけど、自分が思う通りに

行動に移せたという実績と満足感が残るでしょう。

 

しかし「この場合は譲らないと体裁が…」

とか「この人、席を譲れを思っているよね」といった

他者本位による行動の場合。

予想通りの反応が返ってこないと、

「せっかくこっちが気を遣っているのに」と

負の感情が芽生えることもあります。

 

芽生えるだけならまだいいのですが、

自分の機嫌が完全に悪くなるとしたら

他者への迷惑となります。

不機嫌というのは嫌な波動を出しますから。

周囲に悪影響を及ぼします。

 

「前に立っている人が疲れて体調が悪そうだ。

できればその人に座ってもらいたい。力になりたい。

だから譲るのだ」

これは自分本位、自分由来ですよね。

 

義務感でイヤイヤ譲るのであれば、

やらない方がいいと思います。

それに自分が体調悪い時に無理してまで

譲ることもないでしょう。

 

自分がそうしたいから譲るという姿勢であれば

主に若者がやり玉にあげられがちな

「他人が席を譲らない」

といった場面も気にならないと思います。

人には人の事情がありますからね。

 

自分本位が結局他者を尊重することになるなんて

いいこと尽くしじゃありませんか?

 

 

お読みいただきありがとうございました。