毎日ブログを更新するはずが
昨日さっそくポカをしてしまいました。
夜にリラックスしようと部屋の電灯を消し
キャンドルを灯したら、そのまま朝まで
眠ってしまったのです(+_+)
以前の自分なら、ここでガーンとなり
かなりくよくよしたと思います。
「文字数の縛りもなくし、ハードルを下げたのに
書けなかった…」と。
でも今は「変な完璧主義」を手放す方向へ
進化してきているので、わりと大丈夫です(*^^*)
一昨日は
自分が望んでいる通りに選択することの大切さ
をお話しました。
つまり、自分本位で行動する=
自分が本当にしたいからする、ということです。
自分が自分の行動を選べている、
コントロールできているということが
自身を尊重すること(自尊心)につながるのです。
いつも同じことばかり繰り返しているようですが
大事なことなので何回でも言います。
自尊心がないということは一文無しよりも
はるかにずっと深刻だと思っているからです。
私は最近になってこのことを知りましたが
もうこれは本当に、
知るのに早ければ早いほど良いです。
学校でいの一番に教えてほしいとも思いますが
まだ理解力の発達していない時期だと「自尊心」
「自分本位」を単なるわがままとか利己主義と
誤解されそうなので無理でしょうか。
学校教育であれば「自尊心」という抽象的なこと
よりも、正しい歴史や道徳教育などで我が国に
誇りを持てるようにすることの方が有益でしょうね。
というより必須だと思います。
※私は、国家の在り方と個人のあり方は
相互に関係していると考えています。
話がちょっと脱線してしまいました。
「自分本位」の大切さ。
通常「善」「親切」とみなされる行為を行う
ときですら同様です。
例えば、電車やバスなどで他者に席を譲ろうという
とき、それが自分本位なのか他者本位なのかで
全く違うものになります。
席を譲るからといって毎回良い反応が
返ってくるとは必ずしも限りません。
お礼を言われない時もあれば、申し出を
断られることもあるでしょう(←稀だと思いますが)。
自分が譲りたいから譲るのであれば、
思わぬ反応があっても、
「自分がしたくてしたのだから、どう思われても」
と納得することができます。また
今回結果としては断られたけど、自分が思う通りに
行動に移せたという実績と満足感が残るでしょう。
しかし「この場合は譲らないと体裁が…」
とか「この人、席を譲れを思っているよね」といった
他者本位による行動の場合。
予想通りの反応が返ってこないと、
「せっかくこっちが気を遣っているのに」と
負の感情が芽生えることもあります。
芽生えるだけならまだいいのですが、
自分の機嫌が完全に悪くなるとしたら
他者への迷惑となります。
不機嫌というのは嫌な波動を出しますから。
周囲に悪影響を及ぼします。
「前に立っている人が疲れて体調が悪そうだ。
できればその人に座ってもらいたい。力になりたい。
だから譲るのだ」
これは自分本位、自分由来ですよね。
義務感でイヤイヤ譲るのであれば、
やらない方がいいと思います。
それに自分が体調悪い時に無理してまで
譲ることもないでしょう。
自分がそうしたいから譲るという姿勢であれば
主に若者がやり玉にあげられがちな
「他人が席を譲らない」
といった場面も気にならないと思います。
人には人の事情がありますからね。
自分本位が結局他者を尊重することになるなんて
いいこと尽くしじゃありませんか?
お読みいただきありがとうございました。