今日から3月に入りました。
早いですね。
2月末に名画座で『動乱』を見ました。
3月なのに2月中の話をするのもなんですが。
すっかり気に入ってしまって、
最近頻繁に行っている感じです。
赤字がさらにかさみますが、見たいものは
見ようと思っています。
ちなみに、交通費をかけて都内へ行っているのに、
今は本当に映画を見るだけ。寄り道なし。
食事もカフェにもよらずドアツードア。
買い物にも興味がないので💧
昨日『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』
を見た話を記事に書きましたが、
その二日前に見たのが、
この『動乱』という作品です。
二・二六事件を題材にしている映画なので
この時期(2月26日周辺)に
上映してくれているんですね。
映画スケジュール表のしおりにも
「2.26 映画館で日本の歴史を知る」
というキャッチ文がついていました。
このような企画をしてくれるのが
名画座の魅力だな~と思いますね✨
歴史好きにはたまらんっ^^。
↓↓『動乱』のポスター写真です
1980年公開の作品。
※ネタバレが少しでもイヤな方は
回れ右でお願いします。
二・二六事件はご存じの方も多いと思いますが
1936年(昭和11年)に起きたクーデター未遂事件です。
簡単に説明しますと・・・
当時日本は深刻な不況にありました。
特に農民の生活は、農作物価格の下落により
大変苦しく、娘が女郎屋に身売りするという家も
たくさんあったのですね。(←映画にも出てきます)。
そんな中、当時の政府内閣では汚職事件が続き、
不景気の中肥え太るは財閥やお偉いさんばかり。
政財界の腐敗こそ国民困窮の原因とし、
政治の中枢にいる元老や重臣を殺害すれば
国政の改革ができると考え、実行します。
主演の高倉健さんは
この実行する側の青年将校役です。
重臣が次々に殺される場面ですが
あの方もいらっしゃいました。
昨年のお正月に行った「高橋是清翁記念公園」
の高橋是清さんです。当時大蔵大臣でした。
butterfly-blink.hatenablog.com
その重臣が殺害されるシーンで、
重臣の役職名は出るのですが(「蔵相自宅」みたいに)
なぜか名前は出さないんですよね。
でも高橋是清さん役の役者さんはすごく本人に
似ていました。シーンはほぼ一瞬なんですけど
私は「だるまさ~ん!!」と心中叫んでいました😢
(かわいらしい丸顔で「だるま宰相」という
愛称があったそうです)
恐らく他の重臣の方も、
ご本人の容姿に似せていたのだと思います。
ちなみにすごいのは、当時侍従長だった
鈴木貫太郎さんです。
この方は重傷を負うも生き延びられました。
そして、、、はい、そうです!
大東亜戦争敗戦時に首相を務めた方ですね。
なんとも…あまりにも過酷で辛い役割をm(__)m
たしか昭和天皇から頼まれて断れなかったんですよね。
鈴木さん、本当に本当にお疲れさまでした。
ありがとうございましたm(__)m
是非行ってみたいと思っています。
ところで、気になった細かいシーンです。
この映画では軍人ばかり出てくるので、
基本的に姿勢が悪い人は出てきません。通常
皆さんこれ以上ないぐらい背筋が伸びています。
ですが、さらに伸びる瞬間があるのです👀
(特に高倉健さん)
何度か、陸軍の関係者同士の話し合い中
「大御心(おおみこころ)」という言葉が
出てきました。その時なんです。
「大御心」とは「天皇の心」という意味ですね。
この言葉が出たと同時に、
さらに姿勢が正される。反射的にです。
当時天皇陛下の存在がどのようなものか、
よくわかりますよね涙。
しかし、二・二六事件に対し陛下は激怒され
クーデターは失敗に終わってしまいます。
陛下にしてみれば、長年自分が信頼していた
「股肱の臣」が殺されてしまったわけですからね(>_<)
あと、さきほど『動乱』をウィキペディアで
見ていたら驚くべきことが書いてありました。
上映では以下の内容です。
女郎になった吉永小百合さんが、女郎屋で
迫ってきた軍人客を拒否してしまうという
あるまじき禁を犯してしまいました。
それで自殺を図るが果たせず、雪の大地の上に
捨てられているというシーンがありました。
※上のポスター写真中央をご覧ください。
高倉健さんが、捨てられていた吉永さんを
抱きあげ助ける場面です。
ところがウィキによりますと。
実際のロケでは、自殺を謀るが果たせず、
見せしめのためリンチをされるシーンの
撮影が行われたそうなんです。
氷点下8度の北海道でのロケですって。
吉永さんは「長襦袢一枚を纏い、
4時間ロープで木に吊るされ、仮死寸前だったと
いわれたがこのシーンはカットされた」と
書いてありました😲!
え~っ、なんでこれカットされちゃったんだろう。
大変な思いをして撮影したでしょうに
ご本人は怒らなかったんでしょうか??
俳優さんって命がけ・・・大変なんですね(>_<)
ウィキペディアの終わりの方「逸話」という
項目に以下の文を発見。
「二・二六事件関係者が存命中であった時期であり、
その家族からの苦情により多くのカットが生じた」
なるほど、それで吉永さんのシーンも
カットされたのでしょうかね?
あと、前述の
殺害された重臣の名前を出さないというのも
そういった理由でしょうか。わかりませんが。
お読みいただき、ありがとうございました。