蝶のまばたき

もう死にたい、消えたい・・・無職アラフィフ独身女の雑記帳

50億劫年の孤独

先月3月11日が誕生日で

49歳になりました。

(もう50歳目前・・・)

 

前から自分の誕生日には興味がなく

東日本大震災以降はますます、です。

会話上でも自分から触れることは

全くなくなりました。

(話の流れで「昨日誕生日だったんです♪」

 というようなのありますよね)

 

あと、誰かに誕生日を尋ねると、

逆に自分のも聞かれる傾向があるため

自然に尋ねなくなりました。

お祝いメールも然り。

 

今となっては、人との交流がなさすぎて

そんな会話の機会自体ないに等しいですが💦

今日久しぶりに自分から誕生日を言いましたよ。

 

ニート歴3年目に入った今も

生きているのが億劫です。

 

よくセルフネグレクトにならず

毎日生きて過ごせているなと

自分でも不思議なぐらいです。

 

時々すごく恐怖感・不安感・虚しさ

が襲ってくることがあります。

その時は「自分は大丈夫」「自分は大丈夫」

・・・とブツブツ繰り返し唱えています。

 

自室にいる時だけではありません。

他者と共有スペースの廊下やキッチン、

トイレにいる時でも、辛い場合小声で唱えることが

ままあり、これがだいぶ助けになっています。

 

それどころか外出移動中などに

唱えていることもあります。

このような時、マスクはとても便利ですね。

 

そう、

この何をするのも億劫という気持ち。

この雑記文を書くのすら億劫になる気持ち。

この「億劫」というのはどこから来るのか?

 

そこには変化や失敗を恐れる気持ちが

あるようです。

何か行動・行為を起こせば、そこにはどうしても

それに伴う感情が生まれます。

成功した、うまくいった時の快い気持ちなら

いいですが、逆の場合も当然あるわけです。

 

うまくいかなかった、失敗したときの

傷つく不愉快な気持ち。どうしようもない不快感。

それを回避したいのでしょうね。

傷つきたくないんですね。

 

うまくいかなければ再度やり直せばいいし、

行動できたこと自体をよしとすればいいのですが、

変な完璧主義があるのでしょう。

やるからには失敗したくない。うまくやりたい。

カッコ悪いのはいやだ。人から変に思われる、

何か苦言を言われる。

悪目立ちするよりも穏便に済ませたい、というような。

 

つまりダメな自分を見たくないのです。

でも、それはなぜでしょうか?

 

自分に自信がないからです。

自分の存在に自信がないのですね。

 

「ダメな自分」といっても

自分自身(本体)がダメなわけではありません。

ただ行動・行為がダメだっただけなのに。

しかもその時のたった一回の行動が。

でも、自分本体がダメだと思いこんでしまうのです。

 

行動することへの億劫さの原因の一つは

自己肯定感(自尊心)の低さがあると

思っています。

 

それがわかっているのに、

なぜ自分がなかなか行動できないでいるのか。

と思いますでしょうか?

 

この自己肯定感(自尊心)が

人生においていかに重要であるかということ。

言い換えれば、自分本位で生きることが何よりも

大切だということ。

 

これを私が知ったのはつい最近のことです。

それまでは全く逆のことが正しいと

ずっと思ってきたのです。50年近く。

長い時間をかけて刷り込まれてきたものが

そんな簡単に抜けるというわけにはいきません。

 

しかし、ゆっくり本当~に少しずつですが、

自尊心が上がってきているのを感じます。

 

すでにお話したように

「自分は大丈夫」といったアファメーション

の他に以下のことを自分に約束しました。

 

①自己否定をしない

②どんなに辛くても、歩く時は

 あごを引いて姿勢よく歩く

③年齢を聞かれたとき、ごまかさない。

 

あくまでも無理のない範囲ですが、

おおむねできています(*^^*)

③ですが、普通の会話の流れで出てきたとき

の話で、「からかい」の場合は別です。

 

このブログでは何度でも繰り返します。

自尊心が何よりも大切なこと。

そして、自尊心が全ての土台にあること。

自分の「スペック」と自尊心は関係がないこと。

 

 

※以前に自己肯定感について触れた記事を貼っておきます

butterfly-blink.hatenablog.com

 

butterfly-blink.hatenablog.com

お読みいただき、ありがとうございました。