蝶のまばたき

もう死にたい、消えたい・・・無職アラフィフ独身女の雑記帳

自衛官募集

今日は珍しく遠出です。

あまりにも単調な生活すぎて

心身がおかしくなってきたので、勇気を出して

池袋のウォーキングに行ってきました。

 

JRが行っている「駅からハイキング」

という「歩く」イベントへの参加です

ホームページやアプリで、全国各所のコースが検索できます。

コースは期間で更新されるシステムです。

 

予約不要で、開催駅のスタート地点に行けば

地図がもらえ、ふらっと参加できるので

すごく便利でおすすめです。

 

というわけで、今日は池袋のコースを

歩いてきました。このコースは今日が最終日。

「梟(ふくろう)を探せ!新緑豊かな池袋の

 歴史と文化を感じるまち散歩」

という長~いコース名がついていました。

 

池袋駅西口から出発し、まずは元池袋史跡公園を目指します。

出発後すぐに池袋西口公園を通りますが、

ここでもう引っかかってしまいました。(カンタンな女やな💦)

 

どうもここで防災イベントを行っているようです。

奥の野外劇場の看板には

「豊島区  東日本大震災災害  復興支援コンサート」とあり

自衛隊在日米軍消防庁などの音楽隊による演奏が

行われるようでした。

 

公園の方は、さっとしか見ませんでしたが

防災関係のブースがあり、

一番右端の赤い車両は地震体験車」です。

 

それよりも私が気になったのは

写真の一番左にある自衛官募集」のブースです。

(小さいですが、水色の矢印の下あたりに「のぼり」があります)

 

スタッフの方に「何歳まで募集しているんですか?」

と聞いてみました。

無職の自分を念頭に置いて伺っているわけですが

思わず親戚に何もしていない人がいまして」

と言ってしまいました。

 

言ってから「しまった、失礼な言い方だった!」

と後悔しました。

「失業中で、自衛隊に関心のある人かいまして

と言えばよかった…。実際そうなのに…。

 

これだと「何もしていないから自衛隊にでも入れとけ」

みたいに誤解されそうですよね。

とてもそんな甘い世界ではないとわかっているのに。

普段引きこもっていると、交流があまりにも少ないので

適切な言葉選びをとっさにできないんですね(悲)

 

ですが、その方は気を悪くする風もなく

32歳までです」と答えてくださいました。

さらに「医療とかパソコンとか、特殊技能があれば50代ぐらいまで

ということでした(ないよ~そんなもの~)。

いたたまれなくなり、「ホームページで調べれば詳細は

出てきますよね」と収拾することにしました(汗)

 

その後意外にも「小さなお子さんはいますか?」

と言われたので「小さい子はいませんが・・・」と。

(小さいも何も、未婚だっちゅーの。でも言えなかった。)

 

子供向けの自衛隊マスコットキャラクターや、

海自の艦艇や航空機のシールがあり(下の写真左側)

子供がいれば、下さろうとしたようです。

「周りに(小さな子供がいるか)聞いてみます」

と言って結局いただきましたが。

 

ついでに「2022年の物ですが…」と

カレンダーも2種類くださいました。

どちらもカッコイイです✨

小さい子。まぁ、そりゃそうですよね。

ロシアの侵攻を目の前にしてもなお

まだこの体たらくの日本では、

国防意識が身につくことは大変難しいですから。

子供のときから「自衛隊」や「国を守ること」

の大切さを啓発していくことは急務だと思います。

 

自衛隊員の充足率は70%ということで人材不足。

それだけでなく、少ない防衛費のため

兵器や弾薬・燃料などの不足も深刻だと聞いています。

(中〇、ロ〇ア、北〇〇による危機が目前だというのに)

 

それにしても、ですよ。

自衛隊を「軍隊」とはっきり言えないことが

まず、子供の教育に悪いと思うのですが。

このような詭弁、ウソが一番が一番体に悪いです。

正々堂々とできず、卑屈になってしまうからです。

 

これがどれほど人生に悪影響を及ぼすか

お花畑の人たちに、本当に真剣に考えていただきたい。

 

こういう話をすると

すぐ「戦争がしたいのか」と言いますが、

どうか、それはロシア、中国、北朝鮮に言ってください

でも、言えないんでしょう??どうせ。

(平和を愛する日本に言ってどうするんだい)

 

ところで、自衛隊防衛省のみなさん、

無職・ニートへのプロジェクトはやっていないんでしょうか?

後で調べてみようと思いますが。

 

池袋ウォーキングの話はどこへやら。

長くなってしまったので、また別の機会に。

一応ぐるっとコースを回って、再度池袋西口公園

戻ってきてみました。

ちょうど消防庁の音楽隊が演奏をしており

久しぶりに生の音楽を聴けて楽しかったです。

 

 

 

お読みいただき、ありがとうございました。

 

    

              2022年6月5日

これって私だけ??

近所に野良猫が3~4匹いるのですが

そのうちの1匹です。

 

いつも猫たちは私が近づくと逃げます。

今日あった時、猫は私との間に柵があり、

近づかれないので、余裕の佇まい。

そこを私がパシャッと拡大機能を使って撮りました。

 

右のお花は、(光ってわかりにくいですが)

月見草です。3つ寄り添ってとても可愛らしいです。

 

無為単調な毎日の中で、ささやかな楽しみは

近所の散歩中、木や花などの植物や

野良猫やペット犬などの動物を見ることです。

 

そして私のふだんの話し相手と言えば、

所有者のいなそうなお花か、野良猫です。

内容はほんのあいさつ程度で

こみいった話はしませんが、癒されます。

 

現在シェアハウスに住んでおり、

十数人同じ屋根の下に住んでいるはずですが

めったに住人の方と会う事はありません。

 

その人の個室や、誰か水回りを使っている時

そこをねらって会いに行けば別ですが、

偶然会うという事はほとんどありません。

 

壁を接する、すぐ隣の住人ですら

数か月顔を合わさないことはザラです。

これは実際住んでみて驚きました。

(たまたま私のいるハウスだけかしら?)

 

だから、ドラマによくある「偶然どこかで再会する」

というシチュエーションがいかにウソで

現実離れしているか、改めて実感しているところです。

 

もっとも、あらゆるドラマから「偶然再会する」

を禁じたら、もう制作自体が不可能かもしれません。

そう思うぐらい多いと思いませんか?

 

あと、ウソといえばもう一つ。

自分のような中年や老年が言う「若い時に戻りたい!」

あれは実は本心ではなく、

若い人へのリップサービスだと思っています。

「今の精神・成熟度で(若い体に)

 戻れるならいいけどね」

という条件付きのヤツです。心の中できっと追加しています。

 

「精神もまた若い時に戻ってしまうなら、

冗談じゃないヽ(`Д´)ノ」 と思いますよ。

やっとこの境地まで来たのに、

「また一からあの苦労を?やれと?」とうんざりですよ。

 

「若いっていいわね~♪」

身軽な動きやピカピカのお肌を見て、そう思うのは事実。

しかし「戻りたい」とは思わないです。

これも私だけでしょうか?

 

よし、では「ウソだと思う」3つ目行っちゃえ!

自分がまだもっとずっと若いとき

よく高齢の方から言われたものです。

「結婚しないで一人だと、老後さびしいよと。

 

いえいえ、違います。そうではない。

今、私は中年ですが、

独身は中年が一番さびしいのだと思います。

死ぬほど味わってますからね、今。

 

私の世代の友人はほとんど結婚しています。

もう何年も会っていない人ばかり。

 

最近は晩婚、出産も遅くなっているので

中年は子供や家族のことで手一杯です。

だから独身の中年はかまってもらえず

孤独になってしまいます。

 

むしろ中年をこえ、老人になってしまえば、

交流しやすくなるでしょう。

既婚の友人たちも、子供は手を離れ

夫がすでに他界している場合もあり、

自分と同じように一人になる可能性が大きいからです。

 

したがって、「結婚しないと老後さびしいよ」ではなく

「結婚しないと中年時さびしいよ」

が正解だと思います。

 

まだあなたは老後を経験していないのに

ウソだと断定するなって?

では「結婚しないと中年時からさびしいよ」

「から」を入れてみることにします(^_-)

 

ただ、もしかしたら、

これも私だけかもしれませんのであしからず。

 

お読みいただき、ありがとうございました。

         

            2022年6月4日

 

 

「自己肯定感」という病


「自己肯定感」
という言葉は

いつから使われ出しだのでしょうか?         

 

問うておきながら、

調べる気はありません(こらこら)。

 

イヤらしいタイトルをつけてしまいました(恥)。

『~という病』をつけると

それなりの理論があり、本が一冊できそうな

錯覚を起こしそうです。

 

『  ~ 力(りょく)と同じにおいがしますね。

(どちらももう旬は過ぎた感はありますが…)

『絶対に~してはいけない』といった

タイトルもいまだに見かけたります。

 

話がそれましたが、自己肯定感です。

自尊心と同様の意味で、そのままですが

「ありのままの自分を肯定する感覚」

と理解しています。

 

私はいつも思います。

どうして自分はこんなに

「自己肯定感」が低いのだろうかと。

 

自己肯定感が低い理由として

子供の頃に虐待を受けていたり、否定されたりという

親の育て方が大きく関係しているとよく言われます。

 

乱暴なくくり方ですが、精神的な問題や

社会病理も、みなそうじゃありませんか。

根をたどってみると、ほとんどが

その問題者の子供のときの愛情不足(または歪んだ愛され方)

が絡んでいる気がするんですが。

 

私は親から虐待を受けたり、

(ほめられはしないものの)理不尽に叱責されたり

した記憶はありません。

 

父はほぼ家におらず、裕福ではありませんでしたが

母はできる限り、一所懸命育ててくれたと思います。

必要な衣類や物品は買ってくれましたし、

ごはんもお腹いっぱい食べさせてくれました。

 

なのになぜ、自分は

「こんなに自己肯定感が低いのだろうか」

と思うわけです。

 

習慣を変える系のエッセイ漫画で

有名なある作家さんがいます。

その方も自己肯定感が低いそうでした。

 

やはり子供の頃の親の虐待(的対応)に

起因するということで、それを乗り越えるための

インナーチャイルド療法体験の漫画も描かれています。

 

漫画なので、その体験と効果の過程がわかりやすく、

同じ苦しみを抱えている人たちにとって助けになる

とても良い本だと思いました。

 

ただ一方で、私のように、子供のときに

虐待などの経験がなく自己肯定感が低い場合

どうしたらいいのだろうと正直思いました。

どこに原因を求めたらいいのか・・・。

 

無職を1年以上続け、無為にすごしながら

それでも本気で仕事を探す気になれないのは、

実はここに大きく関係しています。

 

自己肯定感が低いままだと、社会生活において

仕事でもなんでも、うまくいかないということが

経験上わかっているからです。

いろいろな場面でマイナスの影響が

顔を出してくるのです。そして自分を苦しめます。

 

自分に自信がないと、自責感が強く、

自己犠牲的な働き方をしてしまいます。

身を削ってがんばれば、自己肯定感が上がるか

というと、そうではありません。むしろ逆です。

 

すると、

「がんばっても自分はダメなんだ」と

自己肯定感は下がってしまうのです。

そして、まだ頑張りが足りないのかと

更にがんばり、疲弊していき、また自信をなくし・・・

と負のスパイラルに陥ります。

 

自分を肯定し、大切にできないと

人からも大切にされません。軽く見られます。

自分が自分を扱っているように、人は自分を扱います

 

自分を大切に扱われないということは

とても悲しく辛いことです。

家庭でもDVやモラハラに遭いやすい人は

自己肯定感が低い傾向があります。

 

自分を大切にできれば、人から大切にされます。

同時に、自分を大切にできてはじめて

人を真に大切にできます。皆を大切できます。

 

まず初めに自己肯定感ありき。

自分を大切にできる、ということが

幸福な生活の基本だと思っています。

 

私は毎日

自分をほめることを課しています

同じ言葉を100回自分にくり返し言い聞かせ

ほめています。

 

内心ではそう思っていなくても、

口に言葉として出すことで、脳をだますのです。

とはいえ、すぐにまた弱気になり

くじけそうになります。

 

50年近くの長い間、十分な自己肯定感を持てずにきて

私はこれをいったい変えることができるのだろうか。

ここから這い上がることはできるのだろうか。

切実な問題です。

 

しかし、この世界で、

自分で自分を助けることをせず

いったい誰が助けてくれるというのでしょう??

まず自分で自分を助けることなしに。

 

どうしようもなく辛いですが、

自分の一番の味方は、

まちがいなく自分でありたい、そう思います。

 

自己肯定感が低い自分。

それをそのまま、ありのままに受け入れる。

そして

「でも大丈夫だよ。今までよくがんばってきたね」

「そのままでいいんだよ」と。

 

お読みいただき、ありがとうございました。

 

 

   

                 2020年6月3日

ここらでよか

毎日辛いです。

いったい何のために生きているのだろうか。

生きていていいのだろうか。

とそんな毎日です。

 

やりたいことも、目標も特にありません。

それが何よりも辛いです。

お金がないことよりも辛いです。

希望がないことが辛いです。

 

さすがに食べて寝てだけではまずいと思い

このブログを始めたわけですが。

あと、ボケないようになんとか

読書だけは細々と続けています。

 

ドライアイで目が疲れやすいので

一気にたくさんは読めませんが、

休み休み読んでいます。

(すぐ時間がたってしまいます😲)

 

今読んでいるのが、

司馬遼太郎『新史太閤記です。

文庫だと上下2巻のようですが、

司馬遼太郎全集版なので、1巻分です。

太閤記」ですから、もちろん豊臣秀吉の話です。

 

今、本の2/3位までの所まで行きました。

対毛利方の清水宗治が守る、備中高松城

水攻め包囲戦が成功しました。

その一方で、主人の織田信長本能寺の変

亡くなってしまいます。そのような辺りです。

 

この『新史太閤記』は読みやすいです。

農民から天下人への出世物語なので

(今のところ)単純にスカッとします。

 

旧来の武将にはない知恵や発想で

次々と戦や危機を乗り越えていきます。

主人公の秀吉中心に物語がシンプルに進むので

わかりやすいです。

 

以前、同じく司馬遼太郎翔ぶが如く

読んだことがあります。

内容は興味深く、本当にすご~く面白いのですが、

かなり読みにくかったです。

 

文庫版で全10巻!という長編、

という理由だけではないと思います。

登場人物が多く、戦国時代と比べて、

時代的に個々の関係性がより複雑です。

と同時に日本が置かれている状況も、でしょうか。

(あと自分の理解力退化のせい・・・(>_<))

 

主人公をもし1人だけあげるとすれば、

西郷隆盛でしょう。ただ、西郷さんを中心に

物語が進んでいくわけではありません。

まず、出だしからが川路利良(警察制度の創始者)の

登場です。

 

ストーリーとしては、明治維新後、

征韓論をめぐる明治6年の政変

各地で起こる士族の反乱(萩、神風連、佐賀の乱など)

⇒そしてついにクライマックス 西南戦争  

という流れになります。

 

征韓論とは何か、それと同時に、

西郷さんとはどういう人物だったのか

に迫ろうとします。

 

西郷さんが置かれている状況を、その本人ではなく、

周辺の人々や関係者の立場や動きを描くことによって

表すというのか、そのようにして

西郷さんに近づいていく、という手法です。

 

征韓論とは?西郷さんとは?

主人公なのに、西郷さん自身を追っても

何も出てこない、かえってわからなくなります。

西郷さん=その時代そのもの

だからでしょうか。

 

明治維新の立役者として大久保と共に躍動し、

革命を成功させた西郷さんは、

維新後は別人のように動きを止めてしまいました

 

自らが生み出したといえる

明治新政府への失望を征韓論により昇華させ、

我が身を捧げようとしましたが、それも叶わず。

 

西南戦争は、「もうそうするしかなかったんだな」

という感じです。

 

最期の言葉「もう、ここらでよか」

「ここら」を西郷さんはずっと

探していたのではないでしょうか。

 

革命で燃え尽きた自身の最後の生かし場所、

落としどころを。

維新革命の原動力、最大の功労者でありながら

新日本にとっては、過去の邪魔者とならずにいられなかった

士族という哀しい存在の散り場所を。

 

 

大久保と新政府が乗り越えるべき(倒すべき)

時代そのものを、やはり西郷さんが自身の

血肉でもって体現してくれたとも言えます。

目に見える実体があればこそ、

容易に倒すことができるのですから。

 

 

この小説もだいぶ記憶が薄れているので

またもう1回読んでみたいと思っています。

いかんせん長~く深いので、それなりの覚悟が必要ですが。

 

最後に、

佐賀の乱江藤新平を検索するときは

画像に気をつけてください!

 

秀吉の時代と違って、

本当の写真が出てきてしまいます。

三島由紀夫のときと同じ衝撃が…⚡)

 

お読みいただき、ありがとうございました。

 

 

         

           2022年6月2日

 

 

お願い、松陰先生

今日から6月です。早いですね。

 

私は今48歳なので、もう50歳が目の前です。

半世紀も生きることになるのかと思うと

何だかオソロシイものがあります。

 

比べる方がどうかしていますが

維新の三傑の一人、大久保利通

亡くなったのが47歳です。

 

あれだけのことを成し遂げて47歳か~。

もっとも当時の50歳は今の70~80歳の

感覚・成熟度だと思いますが。

 

いやいや、同じ時代にいたとして

100年、200年与えられても、もちろん

できる気がしませんよ、あんな大変なこと。

 

前ワクチン担当大臣の堀内詔子さん

大久保の子孫だと知った時はびっくりしました。

あの一蔵どんの子孫なのォォ~!??

(絶叫&こだま)っと。

堀内さんは孫の孫の子供のようです。

(玄孫の子供はなんていうのかしら?)

 

「みんな大好き幕末♥」のご多分にもれず

私も大好きなんですよね~この頃の時代。

特に明治維新(明治政府樹立)を成し遂げてからの、

日本の近代化の過程(~大東亜戦争まで)

に非常に興味があります。

 

倒幕・大政奉還、革命成功しました~

バンザイ🙌 めでたしめでたし。

で終わりではなく、ここからが本番。

 

まだ生まれたての日本が、

西欧列強諸国に飲み込まれないような

強い近代国家に短期間で成長しなければならず、

また苦難の連続、新たな激動の歴史が始まります。

 

話がだいぶそれてしましました。

昔の人の年齢に対する驚き

でいえば吉田松陰もそうですね。

(呼び捨てにすると、山口の人に怒られるんでしたっけ?)

言わずと知れた、長州は松下村塾の教育者です。

 

木戸孝允高杉晋作伊藤博文山県有朋などなど

まさにきら星の如し(キラキラしすぎ!)門下生。

明治維新に重要な役割を果たすような

あれだけの弟子を輩出させながら、本人は

なんと享年たったの29歳ヒィ~!

 

あの年寄りチックな、やたら老けた

肖像画にだまされました。ヤラレタ。

まぁでも、11歳で藩主(今でいえば総理大臣)

兵学を講義するような人ですから、

そもそもの次元が違いすぎますね。

 

名言もたくさん残しておられるようです。

「百年一瞬耳」 (百年の時は一瞬に過ぎない)

という言葉に思わずドキッとさせられます。

 

大阪の箕面市にはこの石碑があるそうで

「百年の時は一瞬にすぎない
君たちはどうかいたずらに時を
過ごすことのないように」と刻まれている

写真がありました。

 

 「松陰先生~~っ  

  私は、今まさに毎日毎日

  いたずらに時を過ごしております(号泣)

  でも、動けないんです…。

  どうしたらいいのでしょうか??」

 

と思い切り松陰先生に抱きついて、泣きたいです。

 (48歳が29歳に泣きつくの地獄図)

 

結婚もせず、夫も子供も持たず、

仕事も何もなしとげることなく

気がついたらこの年になっていました。

 

ただ、年を重ねてよかったのは

何にでもありがたいと思えること

小さなことに喜びを感じられるように

なったことです。

 

そして、自然の美しさをより感じられるように

なったこと。若い頃の比じゃありません。

 

木々や植物の鮮やかさ、きらめき。

動物の無心な姿、鳥のさえずり。

以前からあったはずなのに、

それまで気がつきませんでした。

 

白髪もしわもシミも増えるけど、

加齢は悪いことばかりではありません。

 

「百年は一瞬だが、君にはまだ

五十年残っているではないか。」

松陰先生の声が自分の内側から

聞こえてきました。(幻聴か?)

 

あと松陰先生、

ずうずうしいお願いで大変恐縮ですが、

現在の藩主、じゃなかった首相にも

兵法を講義していただけないでしょうか?

 

日本は今、未曾有の危機にあるのに

自分の国と国民を守ろうという気がないようです。

どうか喝を入れて差し上げてください!

 

お読みいただき、ありがとうございました。

 

 

       

               2022年6月1日

置かれた場所で・・・

常日頃から「死にたい」「消えたい」

という思いが頭から離れないせいか、

どうしても自殺のニュースに反応してしまいます。

 

すごく悲しいです。

なぜ死ぬ必要があったのかと。

まだまだこれからではないかと。

 

その方が亡くなったことが、とても悲しい一方

実は少しだけ、ほっとする気持ちになるのです。

「ほっとする」なんて言葉を使うと

軽蔑されるかもしれませんね。

 

タオルやネクタイなどを使用して

首吊りを行ったという話をきくと

そんな簡単に死ねるんだ、

日用品を使っても死ねるんだと。

 

死のうと思えば、そばにある物で

いつだって死ねるんだという

保険のような、一種の安心感を感じたのです。

 

てっきり首吊りなどをするときは

まずホームセンターに行って、使用に耐える

丈夫な縄を買いに行かなくてはならないと

思い込んでいました。億劫だなと。

 

売り物の縄もたった一つではなく、

お店には色々な種類があるでしょうから

どの縄にするか、選ばなければなりません。

 

「選ぶ」という行為はなかなかエネルギーを使います。

面倒くささは行動を阻む大きな力があります。

でも、普段から家にある日用品で良いのなら

ぐっとハードルは下がります。

 

もう一つ。

首吊りは、ひも状の物を、てっきり天井に近い、

高い所から吊るして行わないといけない

と思いこんでいました。

おそらく映画やドラマの影響でしょう。

 

首が締まりさえすれば

ベッド柵だとかドアノブだとか

必ずしも高いところからでなくていいんですね。

 

そもそも首吊りを遂行する前に

「きちんと調べておけ」「しっかりググれ」

と言われそうですが。

 

自殺のニュースを聞くと、とても悲しいけれど

一方で、それほど悲しくない自分もいます。

 

なぜかと言うと、自分が死んだら

その人たちが死後の世界にいてくれるんだと思うから。

(両手を広げてウエルカムではないにしても)

どうせすぐ会えるんだと思うわけです。

 

あと、自殺で亡くなったとしても、

入れ物である肉体が死ぬだけで

魂は死なないと思っているから

また新たな生命へと生まれ変わるんだから。

だから、悲しいけれど、悲しくない面があります。

 

ただ、そうは言っても

子供や未成年が、自殺や死に追い込まれる

状況は本当に辛いです。

 

もちろん大人だからいいというわけではありません。

ただ、子供は保護者や周りの支援や庇護がなければ

生きられない、ものすごく弱い存在です。

非常に狭い世界に生きていて、逃げ場がなく

簡単に追い詰められてしまいます。

 

子供が死に追いやられるということは

当然守られるべき存在のその子供が、

誰にも守られなかったということです。

 

大人なら自己責任、自己選択という

言葉もありましょうが

子供には選択したり責任をとれるような

力も自由も、そもそもありません。

 

私が日頃から「死にたい」「消えたい」と言いつつ

ぐずぐず悩んで、それでも生きていられるのは、

大人だからです。

子供だったら、状況によっては

そもそも悩むことさえできないでしょう。

 

ところで、数年前の出版だったか

『置かれた場所で咲きなさい』

というタイトルの本があったと思います。

手に取って読んだことはありません。

 

私はこのタイトルのフレーズがとても嫌いです。

今いじめや虐待で苦しんでいる子供にも言えますか?

と思ってしまうのです。

 

本の中身を読みもしないのに、ある特殊な(個別的な)

状況をあてはめて、そのような事を言うのは

自分でも理不尽だと思います。

(このタイトルが引っかかり、手にとれない気持ちも

 あるのですよね…)

 

本タイトルは、出版社の意向で、興味を引くような

キャッチーなものが選ばれると聞きますから、

著書の真の意図と乖離する場合もあるでしょう。

食わず嫌いで、実はとても素晴らしい本の可能性もあります。

 

だからそろそろこの本を読んでみたいと思うのです。

文句を言うなら、ちゃんと読んでからにしないと。

(はなから文句を言う気満々ですか?💦)

 

 

お読みいただき、ありがとうございました。

 

     

             2022年5月31日

逆・幽体離脱の巻

パソコンを前に、このブログを書き始めるとき

いつも頭の中は真っ白です。

たいがい何も思い浮かばないので、

その状態で始めるしかありません。

 

自分の生存確認のためのブログなので

書くこと自体を目的としています。

いつも行き当たりばったりの雑多な内容です。

 

1000文字以上は必ず書くという基準だけ

自分の中に設けています。

書くことが無いなら無いで、

気分が億劫なら億劫で、

素直に表現したいと思っています。

 

それにしても、ここ最近暑い日が続いていますね。

室内の温度計を見ると、最高で

昨日は33℃超今日は31℃超でした。

スマホの天気予報で、今日は「昨日より2度低い」と

出ていましたが、本当にそうでした。

数値の正確さに驚きます😲。

 

まだ5月なので、

冷房は使いたくない(=負けたくない)

と思い、自然の風でがまんしました。

でも、暑いものはやはり暑いですね。

 

というわけで、少しでも涼めるように

今回は「霊体験」の話をしたいと思います。

 

私はもともと霊感というものは全然なく、

霊を見たり、金縛りなどにあったことは

まず、ありませんでした。

 

ただ、前職に就いていた時、なかなか辞めさせてもらえず、

いよいよもう限界という頃、恐ろしいor変な

夢を何度も見るようになりました

 

~~なかなか退職させてもらえず、縁切りに行った話はこちらです

そうだ縁切りスポット、行こう。 - 蝶のまばたき

 

一番リアルで怖かったのが、殺し屋に追われる夢。

家の中にまで、殺し屋が2~3人で入ってきて

自分は2階に逃げているというスリリングな状況。

 

そのときに、機械(盗聴器か何か)が仕込んである

スリッパを私が踏み壊しながら逃げるのですが、

そのバキバキ音がすごかったです。

 

ほとんど追いつかれてしまった私は

2階の窓から出て、外の木に飛び移ります。

と、そこで夢はおしまいになりました。

 

アメリカのアクション映画のワンシーンのような

スピードと臨場感があり、忘れられませんでした。

 

そして、いよいよ前職を辞めることが

完全に確定となったある日の夜、霊現象が起きました。

 

幽体離脱というのは聞いたことがあると

思いますが、その逆バージョンのような現象

離脱していた幽体が本体に戻った

という感じです。幽体回帰?帰還?

 

仕事のユニフォームを着けているもう一人の私

向こうから、かなりのスピードで床をゴロゴロ回りながら

こちらの私の方に近づいてくるのです

そして(こちらの)私にドンっとぶつかると、一体になりました

(ユニフォーム姿の私は消えました)

 

そしてその後すぐ、自分の右肩が

誰かの大きな手が当てられ、押されたかのように

じわ~っと、温かくなったのです

 

かなりインパクトがある出来事だったので

10年日記に書いてあるかと思いましたが

記述がありませんでした。

そこに詳細が書いてあれば、もう少し臨場感をもって

お伝えできたと思うのに、ちょっと残念です。

 

体験した時は大変不気味で怖かったのですが、

後から考えると、「ゴロゴロ、ドンっ」の幽体帰還は

「本来の自分に戻れた」ということ。

「右肩のじわ~っ」は「今までお疲れさまでした」

の意味だったのかなとも思いました。

ねぎらってくれたのでしょうか。

 

ところで、右肩を押してくれたのは、

いったい誰の手だったのでしょう??

それだけが今でも気になるところです。

 

お読みいただき、ありがとうございました。

 

        

              

               2022年5月30日