蝶のまばたき

もう死にたい、消えたい・・・無職アラフィフ独身女の雑記帳

置かれた場所で・・・

常日頃から「死にたい」「消えたい」

という思いが頭から離れないせいか、

どうしても自殺のニュースに反応してしまいます。

 

すごく悲しいです。

なぜ死ぬ必要があったのかと。

まだまだこれからではないかと。

 

その方が亡くなったことが、とても悲しい一方

実は少しだけ、ほっとする気持ちになるのです。

「ほっとする」なんて言葉を使うと

軽蔑されるかもしれませんね。

 

タオルやネクタイなどを使用して

首吊りを行ったという話をきくと

そんな簡単に死ねるんだ、

日用品を使っても死ねるんだと。

 

死のうと思えば、そばにある物で

いつだって死ねるんだという

保険のような、一種の安心感を感じたのです。

 

てっきり首吊りなどをするときは

まずホームセンターに行って、使用に耐える

丈夫な縄を買いに行かなくてはならないと

思い込んでいました。億劫だなと。

 

売り物の縄もたった一つではなく、

お店には色々な種類があるでしょうから

どの縄にするか、選ばなければなりません。

 

「選ぶ」という行為はなかなかエネルギーを使います。

面倒くささは行動を阻む大きな力があります。

でも、普段から家にある日用品で良いのなら

ぐっとハードルは下がります。

 

もう一つ。

首吊りは、ひも状の物を、てっきり天井に近い、

高い所から吊るして行わないといけない

と思いこんでいました。

おそらく映画やドラマの影響でしょう。

 

首が締まりさえすれば

ベッド柵だとかドアノブだとか

必ずしも高いところからでなくていいんですね。

 

そもそも首吊りを遂行する前に

「きちんと調べておけ」「しっかりググれ」

と言われそうですが。

 

自殺のニュースを聞くと、とても悲しいけれど

一方で、それほど悲しくない自分もいます。

 

なぜかと言うと、自分が死んだら

その人たちが死後の世界にいてくれるんだと思うから。

(両手を広げてウエルカムではないにしても)

どうせすぐ会えるんだと思うわけです。

 

あと、自殺で亡くなったとしても、

入れ物である肉体が死ぬだけで

魂は死なないと思っているから

また新たな生命へと生まれ変わるんだから。

だから、悲しいけれど、悲しくない面があります。

 

ただ、そうは言っても

子供や未成年が、自殺や死に追い込まれる

状況は本当に辛いです。

 

もちろん大人だからいいというわけではありません。

ただ、子供は保護者や周りの支援や庇護がなければ

生きられない、ものすごく弱い存在です。

非常に狭い世界に生きていて、逃げ場がなく

簡単に追い詰められてしまいます。

 

子供が死に追いやられるということは

当然守られるべき存在のその子供が、

誰にも守られなかったということです。

 

大人なら自己責任、自己選択という

言葉もありましょうが

子供には選択したり責任をとれるような

力も自由も、そもそもありません。

 

私が日頃から「死にたい」「消えたい」と言いつつ

ぐずぐず悩んで、それでも生きていられるのは、

大人だからです。

子供だったら、状況によっては

そもそも悩むことさえできないでしょう。

 

ところで、数年前の出版だったか

『置かれた場所で咲きなさい』

というタイトルの本があったと思います。

手に取って読んだことはありません。

 

私はこのタイトルのフレーズがとても嫌いです。

今いじめや虐待で苦しんでいる子供にも言えますか?

と思ってしまうのです。

 

本の中身を読みもしないのに、ある特殊な(個別的な)

状況をあてはめて、そのような事を言うのは

自分でも理不尽だと思います。

(このタイトルが引っかかり、手にとれない気持ちも

 あるのですよね…)

 

本タイトルは、出版社の意向で、興味を引くような

キャッチーなものが選ばれると聞きますから、

著書の真の意図と乖離する場合もあるでしょう。

食わず嫌いで、実はとても素晴らしい本の可能性もあります。

 

だからそろそろこの本を読んでみたいと思うのです。

文句を言うなら、ちゃんと読んでからにしないと。

(はなから文句を言う気満々ですか?💦)

 

 

お読みいただき、ありがとうございました。

 

     

             2022年5月31日