秋のブログマラソン11日目🏃
🎤鼻の殺し屋~♪ キンモク・セイ!!
(ブラックホールのテーマソングの
メロディで^^)
今の時期、外を歩いていると
金木犀の香りがこれでもかと鼻を
襲ってきませんか?
トイレの芳香剤がかわいく思えるほど。
うるさい音も苦手ですが、
過剰な香りも苦手なんですよね(>_<)
音といえば、先日大阪に行ったとき、
(大きな)駅内とその周辺が妙に
うるさかった印象があります👂👀
大阪という土地は好きですし
賑やかなのは好きなのですが。
始終大きな音楽や音がしており
落ち着かなかったような気がします。
大阪に限らず、大都市の大型駅は
どこもそれが普通なのかもしれませんが。
その時の自分の精神状況もあるのか?
元々HSP気質があり、ほぼ常に一人行動
なので人より敏感だとは思います。
普段の生活で音が気になるのは
やっぱりお店での買い物ですね。
スーパーから衣料品店から100円ショップに
いたるまで、ほとんどのお店が必要以上に
やかましいと思っています。
前にも同様の記事を書いたことがありました。
butterfly-blink.hatenablog.com
自衛策は、なるべく店内にいる時間を
短くすることですよね。
事前に買うものを具体的に決めておくとか、
できる範囲で調べておく。
あとは耳栓ですね。これは現在住んでいる
シェアハウスでも活躍しています。
ハウス内全体は静かなのですが、
キッチンが近場にあるため、
特にシンクでの洗浄音がかなり響くのです。
ここで、生活感のある話から
ガラッと変わります😲
先日の大阪強行軍の話に戻ります。
『超キン肉マン展』に行ったことは先日の
ブログに書きましたが、その前に
大阪城公園を散策しました。
天満橋駅からスタートし、午前中
ゆっくり3時間かけて回りました。
ざっとご紹介します(*^^*)
私は近代史に一番関心がありますので
そのあたりの史跡・戦跡が中心です。
①大阪砲兵工廠化学分析場
寝屋川にかかる京橋の南側にあります。
1919年(大正8年)に建造されました。
新兵器の開発や研究、化学試験などが
ここで行われていたとのこと。
うまく写真が撮れませんでしたが
左右対称、赤レンガの重厚な建物です。
建築家・置塩章(おしおあきら)氏の設計で
ネオ・ルネッサンス様式というそうです👀
②砲兵工廠跡碑
大阪城ホールの南西にあります。
1959(昭和 34)年、元工廠従業員の親睦団体
「大阪廠友会」が碑を建てられたそうです。
元は、8 月 14 日の大空襲で最も多くの犠牲者を
出した第 3 旋工場跡地に建てられていました。
しかし、大阪城ホール建設のため、
1983(昭和 58)年にここに移設されたとのこと。
③山里曲輪石垣の弾痕
先の大戦末期の空襲による被害跡。
アメリカ軍戦闘機の機銃掃射によるもの
と思われる弾痕が残っています。
大阪は1945年(昭和20年)3月から
終戦前日の8月14日まで8度も大空襲を
受けているんですね(>_<)
大阪城には陸軍の中枢機関や軍事工場が
あったため標的になってしまったということです。
④天守台石垣の爆撃跡
(大阪城天守閣のずれた石垣)
こちらも上と同じく空襲による被害。
爆撃を受けたときに起きた、石垣の「ずれ」です。
昭和39年にひずみの進行を止めるための工事
が行われました。
⑤旧陸軍第四師団司令部庁舎
1931(昭和6)年、陸軍第四師団司令部の庁舎として
建設されました。左右対称の鉄筋コンクリート造。
大戦終結時には中部軍管区司令部庁舎に。
戦後は占領軍の施設→警察の庁舎→市立博物館と
変遷。現在は「ミライザ大阪城」として観光利用
されています。
⑥大阪陸軍兵器支廠本部門
上の⑤の周辺には、
大阪砲兵工廠をはじめとする軍施設が集中。
その一つである大阪陸軍兵器支廠では、
兵器・兵器材料の保管、修理などにあたっていました。
戦後、建物は撤去されましたが、
西ノ丸庭園の南側にある門柱と塀(写真)
は当時のものだそうです。
今は「大阪城公園城内詰所」になっています。
(左上に日傘が写ってしまいました💦)
⑦城南射撃場跡
城南の文字通り、大阪城の南にあります。
維新後に陸軍により設置された
実弾射撃の訓練場跡地。
大戦後も陸上自衛隊の射撃訓練場として
使われたが、昭和43年撤去されたとのこと。
完全にスルーしてしまいました。
秀吉はもっと公に功績を見直されるべき人ですよね。
お読みいただき、ありがとうございました。