なんと今日は、
昔からの願望が一つ叶いました。
自分が大好きなバンド「たま」の作品に
『かなしいずぼん』という名曲があります。
伝説のバンドです。今は解散して、
メンバーは個別で活動されています。
その歌詞の中に
「赤水門にさらわれて
ぼくらはいなくなっちゃった」
という有名な部分があります。
私は当時から現在に至るまで
口ずさんできたわけですが・・・
この「赤水門」がずっと気になっていました。
そしてようやく、30年ほどの時を経て。
この今日という日に
実物を見ることができました👀
↓↓こちらです!!
うわ~~、感動です✨
まさか現物を見られる日が来るとは
思いませんでした。
JR赤羽駅から徒歩20分ぐらいの
場所にあります。
都内ですから、決して遠くはない場所
なのに、今までなぜ行かなかったのか?
歌の世界を壊したくない、自分の足で
汚したくない、という思いが無意識に
足を遠のかせていたのかもしれません。
「たま」の歌は幻想的で美しく、
残酷で優しくて不思議な世界ですから。
この赤水門は、
荒川と隅田川を仕切る水門で
正式名称は「旧岩淵水門」だそうです。
今は水門としての役目は終了し
東京都選定の歴史的建造物として
残されています。
↓↓現在の「岩淵水門」はこちら♪
別名はやはり「青水門」とのこと。
こちらはやっぱり「現役」という感じが
しますね。
青のイメージなのか(青信号?)
「きちっと仕事しますっ」という雰囲気で。
赤色がもつような「おどろおどろしさ」
がない、というか💦
※いえ、実際の赤水門は「おどろしい」
なんてことはなく、写真のように立派な水門です。
だいぶ「たま」の歌の世界に引っぱられていますね(^^;
ところでこの岩淵水門は、隅田川の洪水を
防ぐために設けられているそうです。
荒川上流から流れる水量が増えた場合、
水門を閉めて止めるんですね。
そしてこの岩淵水門から中川河口まで
開削された人工河川が「荒川放水路」です。
開削工事の契機となったのは、
明治43年に起きた関東の大水害でした。
軒並み氾濫。甲府、群馬、埼玉と甚大な
被害を及ぼしました。死者・行方不明・
家屋倒壊・家屋流出・・・(>_<)
そして被害は東京府全体にも及び
政府は「荒川放水路」の建設を決定します。
長年豪雨災害による被害があったことから、
まず首都の根本的な水害対策が必要だと
ということになりました。
1913年(大正2年)着工、
1930年(昭和5年)完成
という、実に17年がかりの大変な難工事。
工事中には出水や土砂崩れなど多数の
災害があり、多くの工夫が命を落とした
そうです(>_<)
その他にも、台風による工事用機械や船舶の
流出、関東大震災による損壊被害などなど
さまざまな困難が次々と。
信じられないことに、当時は今のような重機が
なく、大半の工事を手作業で行っていたとか。
つくづく日本人は歴史的に
自然災害に苦しみ戦ってきたのだなと、
先人の苦労を思い知らされます。
赤水門の近くに「荒川治水資料館アモア」
という建物がありますが、残念ながら
月曜は休館日で入ることはできませんでした。
ちなみに、
この工事を指揮した土木技術者、
青山士(あきら)さんの経歴もまた
すごいものがあります。
あのパナマ運河建設に携わった
唯一の日本人だそうですよ。
内村鑑三の弟子で、仕事に対するあり方も
気高く立派な方だったようです。
ウィキペディアを見ると、
「岩淵水門工事では自らゲートルを巻いて
泥にまみれ工夫たちと苦労をともにした」
というエピソードも載っていました(涙)
青山さん、そして
300万人以上おられたという工夫の皆さん、
日本のために命がけのお仕事をして下さり
ありがとうございましたm(__)m
本当にお疲れさまでしたm(__)m
赤水門を「おどろおどろしい」なんて
言って申し訳ありませんでした(>_<)
今度は荒川治水資料館にも
ぜひ行ってみたいと思います。
お読みいただき、ありがとうございました。
2022年8月22日