蝶のまばたき

もう死にたい、消えたい・・・無職アラフィフ独身女の雑記帳

赤水門にさそわれて

なんと今日は、

昔からの願望が一つ叶いました。

 

自分が大好きなバンド「たま」の作品に

『かなしいずぼん』という名曲があります。

 

「たま」は、90年「イカ天」で有名になった

  伝説のバンドです。今は解散して、

  メンバーは個別で活動されています。

 

その歌詞の中に

   赤水門にさらわれて 

    ぼくらはいなくなっちゃった」

という有名な部分があります。

 

私は当時から現在に至るまで

口ずさんできたわけですが・・・

この「赤水門」がずっと気になっていました。

 

そしてようやく、30年ほどの時を経て。

この今日という日に

実物を見ることができました👀

 

↓↓こちらです!!

うわ~~、感動です

まさか現物を見られる日が来るとは

思いませんでした。

 

JR赤羽駅から徒歩20分ぐらいの

場所にあります。

都内ですから、決して遠くはない場所

なのに、今までなぜ行かなかったのか?

 

歌の世界を壊したくない、自分の足で

汚したくない、という思いが無意識に

足を遠のかせていたのかもしれません。

「たま」の歌は幻想的で美しく、

残酷で優しくて不思議な世界ですから。

 

この赤水門は、

荒川と隅田川を仕切る水門で

正式名称は「旧岩淵水門」だそうです。

 

今は水門としての役目は終了し

東京都選定の歴史的建造物として

残されています。

 

↓↓現在の「岩淵水門」はこちら♪

別名はやはり「青水門」とのこと。

こちらはやっぱり「現役」という感じが

しますね。

 

青のイメージなのか(青信号?)

「きちっと仕事しますっ」という雰囲気で。

赤色がもつような「おどろおどろしさ」

がない、というか💦

 

※いえ、実際の赤水門は「おどろしい」

なんてことはなく、写真のように立派な水門です。

だいぶ「たま」の歌の世界に引っぱられていますね(^^;

 

ところでこの岩淵水門は、隅田川の洪水を

防ぐために設けられているそうです。

荒川上流から流れる水量が増えた場合、

水門を閉めて止めるんですね。

 

そしてこの岩淵水門から中川河口まで

開削された人工河川が荒川放水路です。

開削工事の契機となったのは、

明治43年に起きた関東の大水害でした。

 

この時、利根川多摩川など主な河川は

軒並み氾濫。甲府、群馬、埼玉と甚大な

被害を及ぼしました。死者・行方不明・

家屋倒壊・家屋流出・・・(>_<)

 

そして被害は東京府全体にも及び

政府は「荒川放水路」の建設を決定します。

長年豪雨災害による被害があったことから、

まず首都の根本的な水害対策が必要だと

ということになりました。

 

1913年(大正2年)着工、

1930年(昭和5年)完成

という、実に17年がかりの大変な難工事。

工事中には出水や土砂崩れなど多数の

災害があり、多くの工夫が命を落とした

そうです(>_<)

 

その他にも、台風による工事用機械や船舶の

流出、関東大震災による損壊被害などなど

さまざまな困難が次々と。

信じられないことに、当時は今のような重機が

なく、大半の工事を手作業で行っていたとか。

 

つくづく日本人は歴史的に

自然災害に苦しみ戦ってきたのだなと、

先人の苦労を思い知らされます。

 

赤水門の近くに「荒川治水資料館アモア」

という建物がありますが、残念ながら

月曜は休館日で入ることはできませんでした。

 

ちなみに、

この工事を指揮した土木技術者、

青山士(あきら)さんの経歴もまた

すごいものがあります。

 

あのパナマ運河建設に携わった

唯一の日本人だそうですよ。

内村鑑三の弟子で、仕事に対するあり方も

気高く立派な方だったようです。

 

ウィキペディアを見ると、

「岩淵水門工事では自らゲートルを巻いて

泥にまみれ工夫たちと苦労をともにした」

というエピソードも載っていました(涙)

 

青山さん、そして

300万人以上おられたという工夫の皆さん、

日本のために命がけのお仕事をして下さり

ありがとうございましたm(__)m

本当にお疲れさまでしたm(__)m

 

赤水門を「おどろおどろしい」なんて

言って申し訳ありませんでした(>_<)

 

今度は荒川治水資料館にも

ぜひ行ってみたいと思います。

 

 

お読みいただき、ありがとうございました。

 

 

 

            2022年8月22日