今日もまたこのブログに
時事ニュースや、日本の危機について
書こうとしてしまいました。
あわてて止めました。
さすがに連日憂えていると
元々ない運気が0を通りこして
さらにマイナスに伸びて行きそうですから💧
「絶対値」で考えればいいのかな?
絶対値ならプラス(+)もマイナス(-)
も関係ないのだから。
ところで、私は典型的な文系人間です。
昔から数学というものが本当に苦手でした。
授業のたびに、この学問について
「なぜ奇妙な考え方ばかり披露するのだろう」
と思ったものです。
この「絶対値」という概念は数学の
どの場面で出てきたか忘れましたが、
当時すごい考え方だと思いました。
正負をはぎとってしまい、
ただ数値だけを取り出すということ。
あと、四則演算の一つ「掛け算」も
子供心にショックを受けました。
どんな大きな数字でも、それに0をかけると
結果が0になってしまいます。
「1」に「0」をかけても「0」
「100億」に「0」をかけても「0」。
「5000那由他」に「0」をかけても「0」
ひどくないですか?
水の泡じゃないか、という思いと
切なさと。
一方で「0にしちゃうんだ👀」という
掛け算の「大胆さ」「潔さ」も感じましたが。
とまぁ、一々このような具合ですから
数学の成績がかんばしいわけがありません。
本当は他にも、数学の暴挙に対する
複雑な感情の例は色々とあったはずなのに
今すぐ思い出せません(←悔しい)。
突然「絶対値」のワードが頭にわいて
きたので・・・。
「数学は答えがしっかり出るから好き♪」
と言う人も多くいますね。
数学が得意な人、ピアノが弾ける人、
体育が得意な人。
これらは子供の頃、羨ましくて仕方
ありませんでした。
謙遜でもなんでもなく、自分には
得意な分野がなさすぎるのです。
神様のいたずらなのではないか、と思うくらい💧
~~不器用な件には以前の記事も触れています♪
体育に関しては全方面においてペケ✖です。
例えば「鉄棒の逆上がり」は
結局小中高を通して学校で一度も
できませんでした(>_<)
そして、忘れもしないのは、中学2年生の時。
まだ22、3歳の女性が体育教師として
やってきました。
体育大学卒の頑丈そうな人でした。
バスケットボール授業でのことです。
私は球技は大大大の苦手で、しかも
あの持ちにくいデカいボールですよ…
硬いし(泣)
あんなものを床に打ち付けながら
どうやって動けばいいのか?
困り果てながら、訓練に参加していたのです。
(嫌でも自分の番が来てしまう>_<)
ですから、どうしてもトラベリングを
してしまうんです。
ルールを守れるような技能ではないので
頭でわかっていても、体ができないんですね。
(※トラベリング:ボールを持った状態で3歩以上
歩いてはいけないという反則)
私は後でその先生に「トラベリング」の
お叱りを受けることになりました。
クラスに皆の前で。一人だけ名指しで。
「試合形式」でトラベリングをしたわけでは
ないのに、なぜこのように責められなくては
ならないのか。
今の私なら真向から
ケチョンケチョンに反論したのに・・・。
(相手は20代ですから、そりゃそうですよね💦)
あの時から数年後の私でも
反論できたかもしれない。いや無理か?
あの頃はまだ教師に盾突くことは
許されない時代でした。
「渡〇 〇子」
その体育教師の名前は今でも忘れられません。
「トラベリング」というルールも。
「バスケットボール」と聞いただけで
辛い嫌な空気がよみがえってきます。
しかし苦い思い出は薬にもなるものです。
「苦手なことで人を責めてはいけない」
ということをこの時に身に染みて
経験することができました。
誰しも「得意なこと」と「苦手なこと」
があり、「苦手はこと」は
どうしようもない、ということ。
これは介護の仕事をしたときにも
非常に役に立ちました。
アラフィフになっても相変わらず
特技がなく不器用であること。
これは神様のいたずらなんかでは
ありませんでした。
もし自分が器用だったり、
なんでも得意だったりしたら、
きっと、ものすごく高慢になりますよ。
毎日余裕でふんぞり返るでしょうね。
その自信があります。(←いばるなって…)
ですから、そうならないようにという
神様の配慮、思し召しだと思います✨
優しいですね。神様に愛されてます。
神様とは、もちろん八百万の神です(^_-)-☆
キリストさんも入ってまっせ。
お読みいただき、ありがとうございました。
2022年7月25日