蝶のまばたき

もう死にたい、消えたい・・・無職アラフィフ独身女の雑記帳

死にたくなったら

無職になってから、もうすぐ

1年と3か月が経とうとしています。

あっという間です。

「そろそろ何か仕事を始めないとまずい」

と思いながら、体が全く動きません。

 

早朝起きられなくなり、

朝の散歩やストレッチなどの

ルーティーンワークもできなくなりました。

なんとか午前中には起きてはいますが…。

 

収入は1円もありませんから

確実に破滅に向かっています。

貯金を使い果たしたら終わりです。

 

貯金がゼロに近くなり

いよいよもう食べられない、生活ができない

ということになればさすがに、体が

働き口を探す方に動くのでしょうか?

 

いっそ、そこまで突き詰めてみましょうか??

背に腹は代えられないとなれば

自分がいったい何をするのか?

何ができるのか?

 

必死で仕事を見つけるのか?

それとも、数少ない関係者に

恥を忍んでお金を無心するのか?

または、ここでようやく本当に自死を選ぶのか?

 

ところで、私は毎日ヤフーニュースを見ています。

前にも触れましたが、ほぼ毎日のように

どこかの鉄道での人身事故の記事が

上がってきます。

(あまりの多さに注目するようになりました>_<)

 

人身事故による死亡件数について調べてみると、

ここ10年位の推移としては、全体的に横ばいで、

年間600人前後のようです。昨年2021年は538人

1日に一人以上は亡くなっているわけで

「毎日のようにある」という感覚は合ってたんですね。

 

人身事故ニュースに対するコメントには

ホームドアの設置や増加を促すものや

社会や政治への批判などのほか、

「鉄道会社や通勤者など他の人に迷惑をかけるな」

「死ぬなら、人の迷惑にならない所で、方法で。」

といった旨のコメントも見かけます。

 

私も在職中は、早朝から時間で動く仕事をしていたので

通勤で人身事故に当たり、大変だったことがありました。

ただ、電車に飛び込んだ人は、人の迷惑を考えることが

できないほど追い詰められてたかと思うと、

何とも言えない気持ちになったものです。

 

以前かなり辛いときに、会社帰りなど

駅のホームの一番前の、落ちるギリギリの所に立ち、

飛び込むのをリアルに想像してみたことがあります。

 

今も踏切のところに立って、線路に飛び込む

イメージをしてみようとすることがありますが、

実際とてもとても無理です。

飛び込めない・・・本当に怖いです。

 

すごい音で近づいてくる、大きな鉄の塊。

その物体に自分の体を引き裂かれる瞬間の場面

衝撃や痛みを想像してしまうと、足がすくみます。

 

「死にたい」というのと

「実際に飛び込んで死ぬ」というのでは、

とてつもない大きな距離があるのだなぁと、

このときに実感します。

そして、この距離がもう一切なくなった時に

人は飛び込むんだなと。

 

「自分のバラバラになった赤黒い肉片を、

 まだ入社したての、頬の赤い若い鉄道員さんが

 ゴム手袋をして、吐き気に泣きながら拾うかもしれない」

         とか

ブラック企業で残業続きの会社員が、なんとか

 重い体を引きずって通勤しているかもしれない。

 自分のために電車遅延で遅刻して、悪魔のような

 上司にいびられたりしたら申し訳ない」

 

 というように他人のことを考える余裕があったら、

そもそも電車に飛び込むなんて、できません。

実際に飛び込んだ人は、思考や判断、想像も感情も

すべて超えてしまうほど辛かったんですね。

 

もし死にたくなったら

駅のホームや踏切の最前列に立ってみると

どの程度自分が追い詰められているか

わかると思います。

 

ただその時は、前はともかく

左右と後ろに人がいないか注意してください。

万が一おかしな人に押されないとも限りません。

 

そして、左右と後ろに注意できた時点で

あなたは大丈夫ですまだ余裕があります。

一緒に生きていきましょう。

 

 

お読みいただき、ありがとうございました。

 

 

         

           2022年6月16日